2011/04/19

蜜月8 いっしょの幸せ



激しい喉の渇きにふぅっと意識が浮かびあがって、あたしは重いまぶたを持ち上げた。



全てがぼんやりとにじんで見え、自分がメガネをかけていないことに気づいて、手探りでその辺りを探る。
するとカメラのピントが合うようにふいに周りがはっきりして驚いていると、仄かな明かりに反射する白金の光がよぎった。
うっとりと目を上げれば、素肌にガウンを羽織ったシャルルがいた。
羽枕にゆったりと寄りかかり、片腕であたしを抱きかかえるようにして、静かにあたしを見下ろしている…。


「…ありがと、メガネ。シャルル、喉乾いた…」



そこまで言うとふいに唇をふさがれ、ひんやりした冷たいものが流れ込んできて、あたしの乾いた喉を潤していった。
あたしはシャルルの唇から残らずその液体を飲みほして、ほっと息をつく。

―――は、あぁぁぁ~…生き返ったわー! 
なんて美味しい白ワインなんだろうっ、もっと欲しいな。

そう思って唇をねだると、目の前にワイングラスがニュッと出てきた。
ちぇ、ケチ。
あたしはしぶしぶ、うつぶせになってそれを受け取る。
シャルルは甘やかに微笑んで自分のグラスを傾け、
「…乾杯」
あたしのグラスにそっと重ねる。

チィン…

軽ろやかな音が静かな空間に響き渡り、あたしはこの美貌の人と共有した全てを祝った。
それはくすぐったいような、気恥ずかしいような…それでいてとても誇らしいような、不思議な気持ちだった。


「外…暗いわね。もしかしてあたし、丸一日寝ちゃったのかしら?」
あたしのとぼけた問いに、シャルルは瞳をふせ美しく揺れる液体に口をつける。
「フフ、まさか。あれから30分と経ってないよ。
君は眠ったというより…気を失っていた、といったほうが正解かもしれないぜ」
極上の白ワインも手伝って、あたしの顔は一気に火照った。
う、嘘っ。すごい熟睡したって感覚があるんだけど…。
「そんなに良かったの…?」
寝そべるあたしに顔を近付け、物憂げなブルーグレーの瞳をうっとりと潤ませ…シャルルは密やかに微笑んだ。

き、きゃ~っ、そ、そんなこと言えない~!!

あたしは羽枕に顔を埋めるようにして、そんなシャルルの恥ずかしい質問から逃げたっ。
コトンとグラスを置く音がしたかと思ったら、あっという間に仰向けにひっくり返されて、あたしはシャルルのたくましい胸の下敷きにされて、もう逃げ場がなくなってしまったのよ~っ。
「ねぇ、教えて…? マリナちゃん」
イジワルな瞳の光の中にも、真剣な想いが混じっているのがわかったんだけど…やっぱりどうにも恥ずかしくって、たまらずあたしは聞き返してしまったのっ。
「あんたこそ、どっ、どうだったのっ?」
「わかるだろ…? だからこうして最高級のシャルドネで祝杯をあげていたんじゃないか。君の寝顔を肴にね」
パチンとウインクをして、シャルルはふわりと口づける。
その時、シャルルがさっき言っていた言葉がふいにあたしを襲った。


”君の表現はナチュラルで奔放すぎて、正直オレには捕らえどころがないんだ”


―――そんなつもりは全然なかったんだけど、あたしの愛情のしめし方はシャルルには物足りないみたい…。
そ、そりゃ”恥の国”から出てきて、いきなり恋愛大国に連れてこられちゃって、あたしだって相当戸惑っているのよーっ。
シャルルのことは大好きだけど…未熟なあたしだから、ああいうことだって自分からアプローチしたことないし…だからついつい口べたになっちゃうし、変に意固地なとこあるし、上手く甘えられないっていうか、まだそういうの慣れないっていうか、パリの街中は恋人だらけで恥ずかしいっていうか……じゃないわよっ!
何考えてんのあたしはっ! 
もー下手な考え休むに似たりってよく出来た言葉よね、あたしはまず口を開いた方がいいかもしれないっ。

でも、そう思ってもあたしの口は食べるの専用だってことを思い出して、ますますオチこんでしまったんだけど…。
あたしは内心情けない思いでいっぱいだったけど、目の前で幸せそうに微笑んでいるシャルルを見たら…先ほどの甘い嵐が体の芯に蘇り、そしてなによりこれが、シャルルと分かちあった確かな愛だと気づいたの。


そうね…あせる必要なんてないわ。
無理をしない本当のあたしがシャルルを求めてこそ、そこにシャルルの充足感が生まれるのよ。
飾る必要もない、心のままに、あたしはシャルルの名を呼べばいいんだ。
今しばらくは、上手く伝えられないかもしれないけど……
あたしは、生涯を共にするこの人を思いやり、いたわり、そしてなにより互いに正直でいられる伴侶になりたいと思ってる。
だから、少しづつでもはぐらかさないて…ちゃんと言わなくちゃ。


これがあたしの結婚生活はじめの一歩よね!


本当に心の底から幸せな笑みがわいてきて、あたしはそっとシャルルに唇をよせた。
上唇を優しくなめ、下唇を甘く噛み、あたしを愛してくれたその唇に割ってはいる。
シャルルは驚きながらも、またあたしをリードしてくれようとした。
でもあたしはやんわりとそれを押しとどめ……ゆっくり身を起こしながら、今度はシャルルを反対に組み敷いた。

あたしの稚拙なキスにもシャルルは優しく答えてくれて、あたしはそうしてしばらく…シャルルにそうっと、感謝と愛とを伝えたの。

唇を離してからも、あたしはシャルルの頭を抱きしめ、瑠璃色の宇宙に広がる天の川のような美しい白金の髪を撫でていた。
いつもと立場が違うけど…なんて心休まる安心感だろうと…あたしは感じた。
シャルルはまるで母親に抱かれる子供のように…瞳を閉じ微笑みすら浮かべて、あたしの腕の中で穏やかな呼吸を繰り返していた。
「シャルル、あのね」
あたしはいつものように大きく息を吸う。
「あんたって最高よ。
心も体も…あたしあんまり気持ち、よくて、も…もうこ、声が抑えられないくらいだったものっ。

体が液体になったみたいで、でも、体の芯だけはすごく、痺れたみたいに熱くて…っ。
あ、あんたの切ない表情にすら、すごく…っか、か…か」
「か…何?」
もう途中からくすくす笑いだしたシャルルを、ぺしんと軽くたたいてあたしは深呼吸した。
(すごく…か、感じちゃったも、の)
口元に耳を近付け、消え入りそうなあたしの言葉を嬉しそうに聞くシャルル。
「あんたと愛し合えて…あたし、最高に幸せだったわ。とっても、よかった。
ありがとう…ジュテーム、モンシェリ…シャルル」
―――その時のシャルルの顔ったら…。
「…お願い、マリナ。もう一度言って」
「えっ、へ、変だった? 発音」
「そんなことない、とても上手だよ…今、オレは、不覚にも真っ白になっちまった…まいった。君の甘い毒で、もう再起不能だ…。

だから頼む、もう一度言ってくれ。そうしたら素敵なご褒美をあげるから」
「な、何バカなこと言ってんのよっ。い、いやーよーっ、もう言えないっ! …ご褒美ってなに?」
「君が喜ぶこと請合いなものさ、さあ。オレの頼み、聞いてくれるよね…?」
「えー…、んもう。…じ、じゅ、ってーむむ…もん、もんし…しし…。
シャルル! あんたまたあたしで遊んだわね!」
あたしが赤い顔で必死に言ってるのに、この男は~っ。
ひそかに肩を震わせて笑ってるっ。
んもーもーもー、あほシャルル!

背中にあった枕を力まかせにシャルルにぶっつけて、あたしたちはしばらくベッドの上でじゃれあった。
声をたてて笑い合い、地位も名誉も関係なく、そうして普通の恋人同士のように…。
その初めて出会う無邪気なシャルルに…あたしは感動した。
これからの永い生涯、どれだけのシャルルに出会えるだろう。
それだけで、あたしの胸はまた、シャルルにときめきを覚える…。


「はぁー」
ひとしきりはしゃいで、あたしはシャルルの胸に寄りかかる。
「寒くない…?」
あたしの裸の肩を抱いて、ひっそりと聞くシャルル。その確かな鼓動を感じたくて、あたしはたくましい胸板に頬をすりよせる。
「ちっとも。あんたとふざけてたから、反対に暑いくらいよ」
「フフ、そうだね。
…ねぇ、マリナ。さっきの発言は少なからず君を傷つけてしまったね…ごめんよ。
―――気持ちを素直に伝えてくれてありがとう、とても嬉しかった…感動したよ」
「そんなっ、当たり前のことをしただけよっ。思慮が足りなかったあたしこそ、あんたに謝らなくちゃならないわ。
不安にさせて、ごめんね?」
そうして振り仰いだシャルルは…一瞬、泣いているのかと思った。
静謐なブルーグレーの瞳がいっぱいの恍惚の光をはらんで、あたしに語りかけていた。


君とこうして語り合い、触れ合い、いたわり合い…存分に心を重ね合わせ…なんという満ち足りた気分だろう。
君と出会えた今だからこそ、生を享けたこの世をも愛せよう。
愛してる、愛してる、―――愛してる君を。
オレの片翼、君を得てオレは新たな空を飛ぼう。
ずっと、二人で…果てしなく広がる世界を。



そのまぶしいまでの綺麗な瞳を、あたしはまっすぐに見つめた。
本当にシャルルは、なんて澄んでいるんだろう、と。
こみあげる想いをこくりと飲み込んで、あたしはほっと息をつき、今ある自分の幸せを心から喜んだ。
「そうね…シャルル。ずっと一緒に、仲良く手をつないでいきましょう。
あんたはあたしが絶対幸せにしてあげるからねっ、覚悟しといて」
あたしはその温かく大きな手を、しっかりと握り締めた。
シャルルは微笑む―――白いバラたちを従えて、清廉に…どこまでも広がる愛を携えて。
「君は魔法使いかい、マリナちゃん。オレの欲しい言葉をいつもくれる…。
お手柔らかによろしく頼むよ、オレの奥さん」
そうして、あたしたちは優しく口付ける。
「今のオレは君に何でもしてあげたい気分だ。…給仕だってね。はい、ご褒美」
あたしはふいに口に放り込まれた物を、パクンと閉じ込めその感触を確かめた。
ああっ、このつぶつぶ感に甘酸っぱいいい香りは!
…フランボワーズだわーっ、なんて美味しいんでしょっ。
あたしは感激して、そのおいしさを噛みしめた。
思い起こせば―――ついさっきか。
ちゃんと食べたはずなのに、どこかへいってしまった豪華ディナー! 
ああ悔しいったら、もうこうなったら心も体も満たされた今っ、あとはお腹を満たすだけよね!!
どこにあるのっ!? あたしの食べ物はっ。

キョロキョロするあたしの頭をポンとたたいて、シャルルはレースをくぐり、ベッドを下りた。
シャルルがすっと視界からどくと、いつの間にか銀色のワゴンがベッドに横付けされていたの。
その上には…きゃーん!
フランスパンにクロワッサン、ピンクの生ハムに宝石みたいなキャビア、いい匂いのモッツァレラとカマンベールのチーズの盛り合わせ! 
とどめはきらきら輝くマスカットとフランボワーズにラフランス! 

ああ~もうだめー。
あたしがフラフラとワゴンに近づくと、
「慌てるなよ、マリナちゃん。今用意してやるから。ちょっと”おあずけ”だぜ 」
そのままベッドに押し戻されて、あたしは枕に寄りかからされた。
ううう~早く~。
はやくも待ちきれずうずうずしているあたしの口に、もう一つフランボワーズを放りこんで、シャルルは微笑んだ。
あたしの裸の首にナフキンを結び、シーツにくるまった膝の上にトレイを置く。
すると見る間にきらびやかなコンビネーションサンドが並んでいったの~!

きゃーきゃー、なんておいしそうなのっ。
さっきの芸術的なディナーを作ってくれたコックさんには申し訳ないけど、シャルルサンドの方が、あたしにはとっても魅力的よぉ~。
ま、まだかしら?
ちらりとシャルルを盗み見ると、支度が終わり、満足そうにワインなんか飲んで、すましてあたしを見ているの。
「ねえシャルルぅ、もう食べてもいい?」
「ふふ、いい子で”待て”出来たね。今日のオレは最高に気分がいい。君がいくつサンドを食べても文句なんか言わないよ、遠慮なく召し上がれ。
まぁ、君は遠慮などはじめからしたことないか」
ええっ、しないわよ! わーいっ、いただきまーす!
あたしはシャルルのあまりの機嫌の良さを不気味に思いながらも、気が変わらないうちに思う存分食べてしまおうと、大きな口でその素敵なパンたちにかぶりついた。
「んー、最っ高においしいわっ、ありがとうシャルル! あんたと結婚出来て、あたし幸せっ」
「どういたしまして。…ドレスを送った時より嬉しそうだね」
「ふぁ? なんふぁいっふぁ?」
「いいや、別に。ほら、口に物を入れて喋るんじゃないよ」
言いながらもシャルルは優しげにあたしを見つめ、丸々としたプロポーションの洋ナシを手に取る。
「食べるかい?…と、愚問だね」
すると! 
なんと自分で銀のナイフを操り、シャルルはするするとあの複雑なデコボコの果物の皮をむいていったのっ。
ラフランスって、形がいびつな上に汁っ気たっぷりだから、皮むくのすごい難しいのよねっ。
薫んちでくすねて食べようとした時、手やら口やらがベロベロになっちゃって、すぐにバレちゃったものね。
それにしても…こんなことやってるシャルルなんて初めて見たわー、やれば出来るんじゃないっ。
でも、すごい上手だわっ! 料理人顔負けっ。
あたしが驚いてそう言うと、シャルルはナイフをひらめかせしたり顔でこう言ったの。
「オレの職業を忘れちまったのかい、マリナちゃん?」
は? 職業って…どれ? 
んーナイフとくれば…ああ! 
そういえばシャルルは世界に名立たる天才外科医! 自分で自分の手術もしちゃう、ブラックジャックも真っ青のお医者さんだったっ。
「こんなの皮膚を剥離するのに比べたら、ずっと単純な作業さ」
そう言って種もきれいに取り除いて、すととんとお皿に切り並べ、あたしの膝の上に置く。
げ、ひ、皮膚って……。
あたしはパンをくわえたまま、その甘い芳香を放つ果物をじとーっと見下ろした。
「人が食事中だってのになんてこと言うのよ、ゲテモノシャルル」
それを聞いて、シャルルはつんと横を向くと、ワインをあおる。
「フン、君だって空腹ならば、たとえ隣で解剖していようが平気で焼肉くらい食べるだろ」
げっ、いっくらあたしでもそんなこと…っ。
そういえばいつだかシャルルの手伝いで、人の腕のぶつ切りに触ったことあったわよね。あの時、へぇとり肉みたいって感じたものね…。
ううーん案外、平気かしら、結局はおんなじお肉なんだし。
「おいおい、なんて目をしているんだ、マリナちゃん。オレはまだ君に喰われるわけにはいかないぜ」
「たっ、食べないわよ! あんたは非常食ですものっ」
ほんの冗談のつもりでいったのにっ、シャルルったらいきなりムッとして、あたしの耳にふうっと息を吹きかけたのよっ!
ひゃあぁ~、耳はだめーっ。
時すでに遅しで、あたしはあまりのくすぐったさに体をよじった!

途端に、片手に持っていたワインを離してしまって…なんと頭からざんぶりとかぶってしまったのぉ。
あああっ、もったいないっ。
そう思って髪からしたたる高級ワインをぺろぺろ舐めていたら、たまりかねたようにシャルルが言ったの。
「今日ばかりはどんなに食べても文句は言わないと言ったが、アリがたかりそうな女と眠る気はないぞ! マリナ、そんなことやっていないで、バスへ行け」
「えー、だってもう疲れたし、お腹一杯でこのまま寝たいわよー。平気よタオルで拭けば」
もとはといえば、あんたのせいじゃない! あほシャルル。
ぶちぶちあたしが言ってると、シャルルはずいとのりだして、親指で強く自分の胸を指した。
「オレ”が”平気じゃない! 行かないのであれば、残りの2日間ずっと君の耳に息を吹きかけ続けてやるぞ。
さあ、あの正面のドアだっ」
薄闇でぎらりと輝きを放つブルーグレーの瞳は妙に凄みがきいてて、あたしはぞくりとしたっ。
それでなくたって、2日間も耳攻めはごめんよー!
あたしは諦めて、ネイビーブルーのシーツを改めて体に巻きつけて、しぶしぶベッドを下りた。

あ、あららららっ!

床に足をついたとたん、なんだか急に平衡感覚を失ったようによろけて、あたしは毛虫みたいに絨毯の上にごろんと転がってしまったのっ。
な、何よこれっ、すごい体が重いっ。
まるで水からあがった時みたいに、ずぅーんと重力がかかってしまっているのっ。
特に下半身に力が全然入らな…ああーっ!!

こ、これって…もしかして、し、し過ぎってやつかしら。
…おりゃっ、ふぬっ、…あーもーっ、立てないじゃないっ!
あたしがへたり込んでいる様をベッドの上から愉快そうに見下ろして、シャルルは傲然と言い放ったのっ。
「言ったろ、手加減しないぞ…って。
手をお貸ししましょうか、マダム? それともバスもご一緒に?」
言葉こそ丁寧だけど、明らかにあたしをからかってるのがミエミエ!   
ちくしょー、覚えてなさいよっ、シャルル! 
いつか…きっといつか、絶対あんたをぎゃふんと言わせてやるわっ!

暗い決意を胸に、あたしは赤い顔で「結構よっ」と叫び、呼吸を整えてえいやっと立ち上がった。
あたしは絨毯の長い毛足に足をとられながら、カクカクと進んで行く。
「いくら疲れているからって湯船で寝るんじゃないよ。オレはもう満腹だ。ゆでマリナなんて喰えないぜ」
くぅ~、足元に集中してるから言い返せやしないっ。
それをいいことにあたしをおちょくり続けるシャルルは、あたしの旦那さまになったんだと改めて気づいて、あたしは奥歯を噛んだ。

ああっ、このままあたしはからかわれ続ける運命なのかしらっ!?

心の中で叫んでも、それはあとの祭りだったのぉ…。
 
 
 
 
 
あたしは浴室へと続くドアに手をかけ…重い体を引きずって、のろのろとそこへ入って行った。




新たな世界が待ち受けているとも―――知らずに。



















拍手いただけるとガンバレます( ´∀`)


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