2011/04/09

epi:15 微光



パートマリナ&ミシェル P


心地よい揺れに身をまかせながら、マリナは幸福な浅い眠りを楽しんでいた。

胸が張り裂けるかと思うほどのあの想いは、なんだったのだろう・・・あの青みをおびた白、甘美な甘い香り、どこまでも高貴なその姿。
思い描くのは、街の花屋でわけてもらった、あの白バラ。
なぜだろう、こんなに嬉しいのは。
なぜだろう、こんなに心があたたかくなるのは・・・。
ぼんやりしたその姿を抱きしめたくて、もどかしさのあまりに伸ばした指先に、ふいに冷ややかな感触が襲った。
驚いて目を開けると、自分を抱き上げたミシェルの、氷のように美しい無表情な横顔が、目の前にあった。


「あ、あたし、どうしたのかしら・・・。お花屋さんで、ふうっと気が遠くなっちゃって」
「―――黙ってろ、無断で抜け出した罰でも下ったんだろ」
生気の感じられないミシェルの言葉に、少しの罪悪感を感じながらも、自分にとって大事ななにかになり得るはずだったあの白バラがどこにも見当たらず、マリナは悲しげに瞳をふせた。
やがてベッドに運ばれたマリナは、自分の身に起こった出来事に戸惑いながらも、ミシェルに視線を向け、明るく言った。
「ちょ、ちょっとミシェル大げさよっ。あたし平気だからっ。たぶんお腹でもすいてたのよ、起きるわ」
「だめだ、僕がいいと言うまで寝てろ」
「でもご飯つくらなきゃ」
「―――今日は僕がつくる。だからお前は寝てろ」
マリナは驚いて、それこそメガネからこぼれ落ちんほどに目を見開いて、その冷ややかな美貌を見返した。
低くつぶやいたミシェルは、そんなマリナには一瞥もくれずに、しなやかな体を翻すとドアの向こうへと姿を消した。

 
 
遠慮がちな小さな異音に、様々なことに思いを漂わせていたマリナの意識が、ふいに破られる。
それがなんの音であるか馴染みのないものだったので、それと分かるまでに時間を要したマリナは、はっとしたように入り口に視線を向けた。
―――今の、ノック!!??
ここにきて聞いたノックは、それとは思えないほど無遠慮で尊大なものばかりだったのに・・・。
それは眠っているだろう自分への、ミシェルの配慮が感じられ、マリナは驚きながらあわてて声をあげた。
「お、起きてるわ、ミシェル」
ドアからのぞいた冷ややかな美貌は不機嫌そうで、どこかふてくされているように見え、マリナにはその様子が少しかわいく思えてしまい、こみあげる笑いを隠すのに必死だった。
だがそんな思考は、ふわりと漂うかぐわしい香りによって、あっという間に霧散する。
それはミシェルに押されたワゴンから流れてきていて、とたんにマリナの腹のムシは、全てを押しのけて騒ぎだすのだった。
「わぁっ、いい匂い!」
「お前の腹のムシだけは、いつも元気だな」
憮然として言い放つミシェルは、起きあがろうとしたマリナに、どうしたことかふと手を差し伸べた。
驚きながらもマリナがその手に身を委ねると、ミシェルはまるで繊細なガラス細工を扱うように、マリナの背をそっと抱き起すのだった。
それはとてもぎこちなく、今まで彼が誰にもそうしたことがない事を物語っていて、マリナは戸惑いよりも切なさが胸にこみあげた。
こうした何気ない仕草に無縁だった、彼の境遇を思って。
背中に差し入れた羽枕にマリナを寄りかからせ、配膳を終えたミシェルは食べるように目で促すと、ベッドサイドに置かれた椅子に、無造作に斜めに腰かけた。
目の前のテーブルに置かれた器に目をやったマリナは、あっけにとられてそれを見つめる。
「こ、これって」
「日本人は具合が悪くなるとそれを食うんだろ。・・・覚えちゃいないか」
驚いてマリナはミシェルを振り返った。
ミシェルはぷいとそっぽを向くと、ただ一言「早く食え」と言い放つ。
その料理には、朝までこの家にはなかったはずの食材が使われており、マリナは信じられない思いで、温かく湯気の立つそれをじっと見つめた。
それまで思いもつかなかった考えが、マリナの頭を占領する。
これは自分のためだけに、ミシェルが食材を集め、作り方を調べてつくってくれたもの・・・・・・

あたしのために?

そっと口に運んだその味は、とても優しくマリナの心に広がっていき、その温かさはマリナの中で重く渦巻いていた、言い尽くせぬ得体の知れない不安を、ゆっくりと溶かしていった。
その滴はやがてせきを切ったように、マリナの瞳からいくつもの筋となって溢れ落ちる。
今まで流した不安の涙、悲しみや怒りが染みこんだそれじゃない・・・心の底からあふれる暖かさ、安心感、そばにいるたった一人の人からの、その優しさに―――マリナの心はふるえていたのだ。
スプーンを握りしめたまま、静かに涙を流すマリナの姿を見たミシェルの美貌に、ふいにゆらりと苛立ちが浮かび上がり、鋭い光が青灰の瞳に宿る。
「―――泣くほどまずいのかよ」
「違う、ちがうの・・・」
ゆっくり首をふってマリナは顔をあげると、流れる涙もそのままに、まっすぐミシェルに向き合った。

「おいしいの。あったかくて、懐かしくて。それにとっても、うれしいの・・・・・・うれしいのよ。

ありがとう、ミシェル」

一瞬―――白金髪が波打ち、ミシェルは驚愕に満ちた青灰の瞳で、マリナを見返した。
その目には戸惑いと驚きが激しく交錯し、どんなことにも冷酷だったミシェルの動揺が、はっきりと見て取れた。
しかし、何よりもマリナを驚かせたのは―――みるみる朱に染まっていく、天使のカーブを描く頬だった・・・!

―――――――!?

涙でかすんだ自分の見間違いかと、マリナはメガネをかけ直し、再び顔を寄せたその時、我に返ったミシェルは弾かれたように顔を背け、ぶっきらぼうに低く言い捨てた。
「なに見てる、早く食え」
その声はまるでいい訳のような響きで、あのミシェルの表情は見間違いではなかったことを確信したマリナは、こみあげるあたたかい気持ちを、そのまま明るい笑顔にし、気を取りなおして力強くスプーンを握りしめた。
「た、食べるわよ。こんな美味しいもの、残したらそれこそバチがあたるわっ。おかわりあるんでしょうねっ」
「―――フン、泣いたり笑ったり忙しい女だな」
そう言い残すと、ミシェルは足早に部屋を出ていった。
 
 
マリナはその背中に、今までには感じたことのない光を見出していた。
それはひどく頼りないのだけれど、・・・なにかが変わりはじめた・・・そう確信させるには充分な
―――光だった。







読んでくれてありがとう


0 件のコメント: