2011/04/10

epi:18 触れれば、もう



パートマリナ&ミシェル P


絵を描いている時は、何もかも忘れて熱中することが出来た。
というか、描かねばならないという焦燥感すら感じるのはなぜだろうと、マリナは常々思うほど、絵にのめりこむ自分を不思議に思っていた。
おそらく失った記憶さえはっきりすれば、その理由もわかるのだろうが、いつまでもない過去を悩むより、とにかく描くことの出来る今に感謝しようと決めていたので、鉛筆を握る手にも自然と熱がはいった。

ミシェルに無理やりねじ込んで用意してもらった道具一式は、すでに手にも馴染んでいたが、実はここしばらくは、彼の前で絵は描いていなかった。
それというのもミシェルは、どんなに拒否しても、あの手この手で出来あがった絵を取り上げては、屋敷のいたる所に嫌がらせのようにそれを飾り、脇を通るたびに嫌味を言うのを、習慣のように行っていたからだ。
最近の態度の豹変ぶりには、ありがたい反面、気味のわるさすら感じてしまうが、自分の唯一の娯楽である絵だけは邪魔してほしくない、というのがマリナの本音だった。


今日の被写体は、森で摘んできた名も知れぬ花。
ひとしきりそれを描いたマリナは何を思ったか、ふらふらと花に近づくと顔をくっつけて、しげしげと眺めまわし始めた。
その花弁を一枚むしりとると匂いを嗅ぎ、じっと見つめ・・・大きく口を・・・・・・!
「―――おいおい、レアリスム(写実主義)の連中だって、被写体を食ったりはしなかったと思うぞ」
背後から意地の悪い、低く艶のある声がふいに襲い来る。
まったくの無防備だったマリナは、飛びあがるほど驚いて、慌ててふりかえると、そこにはミシェルの姿があった。
ゆるりと上げた片肘だけをドアについて体を支え、上目使いに微笑むその表情は、まるで悪戯を企む子供のような無邪気さを感じた。
仕立ての良い細身の黒のパンツに包まれた長い足、プラチナブロンドに縁取られた、上品で物憂げな容貌。
それにもかかわらず、その全身から漂う印象は、しなやかな鞭のように、危険に満ちた魅力を放っている。
その様に心を奪われ、マリナは蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。
「か、か、観察してただけよっ。いい絵を描くにはち、ちゃんと被写体を理解しなくっちゃ!」
「ふーん、お前の絵は匂いや味まで表現出来るほど、崇高なものなのか。そりゃダ・ヴィンチも腰抜かすだろうぜ」
皮肉げに言って、床に置きっぱなしだったスケッチブックをさっと取り上げると、ミシェルは下で取り返そうともがいているマリナの額を抑えつけ、それは愉快そうに絵の鑑賞をする。
「か、返してよっ! 返せっ、こらっ、ミシェル~!」
「相変わらずヘタクソだな、毎日描いてるのにこのヘタさって、ある意味すごい才能だぞ」
「ああっ!! 人の絵になにすんのよっ!」
マリナを抑えこみつつ、ミシェルはスケッチブックに素早く鉛筆を走らせた。
花を囲んで大きく丸を描き、次いで上から斜めの太線。
あっという間に”花を禁止”の妙なマークが出来あがり、その下にドントイーティング・・・食べられませんと美しい筆記体でサインを入れた。
「あああ~!! せっかく描いたのにぃ~! 
ちょっとバカミシェルっ、あんたいい加減にしてよねっ」
「ああそう、じゃ食えば? この花はな、匂いこそ良いが、花びらには微弱の毒素が含まれているんだ。楽勝で腹ぐらいは壊すと思うけどな」
「ひえっ!? そ、そうなの・・・」
「バカなお前にもよく分かるように、図式化してやったのに責められるなんて、ああ僕は可哀想だな。
思いやりもわからない、無神経女のそばにいなきゃならないなんて。
おまけにそいつは、ドジでチビでアホで狸顔で大食いで、その上0歳児並の認識法しか取れない奴ときたもんだ」
「ううう、そこまで言う!? あ、あたしにだってね、いいとこくらいあるわっ!」
「へえ、どこさ。教えてほしいもんだ、え?」
マリナは真っ赤に頬をふくらませて、ミシェルを睨み返した。
実はなんと言葉をついでいいかわからず、言いあぐねていたのだが。
「だ、だってミシェルっ、えーと、その、あ、あんたがいることがもうそれを証明してるじゃないっ。
あんたはあたしのいいとこを認めて、結婚したんでしょっ! 
あ・・・あんたが教えてちょーだいっ!」
ミシェルはあっけにとられたように眉をひそめると、なんと、天を仰いで笑いだした。
「バカだよな、お前、ほんとに」
お前が僕といるのは、シャルルを苦しめるため。
記憶を奪い、それに根付いた幸せを奪い、それすらも気付かずに、すり変わった偽りの愛に浸る様を見て、あざ笑う為。
渇いた気持ちがミシェルの心を覆っていったが、こみあげる笑いが別の所からきていることに、彼は気付かなかった。
眼下で表情を変えるマリナを見るたび、自分の何気ない一言が与える影響を思い知り、ミシェルは知らず知らずに饒舌になっていた。

彼にとって言葉、会話とは―――幼い頃より、意味のないものでしかなかったのに。

「お前の価値観って、もしかして食えるか食えないかって、二者択一のそれしかないんじゃないの?
信じられないよ、ほんと意地汚いよな」
「なによっ、食べることって、生きてく上で大事なことじゃないっ。それのどこが悪いのよ!」
「おい、本気かよ。恐れ入ったね。
この世の最後の風景を見るのは、間違いなくゴキブリとお前だけだな。
喜べマリナ、そのたくましさはすでにヒト以下だ」
「ふんっ、勝手に言ってればっ。だけどねっ、そん時はあんたも生き残ってもらいますからね!」
「・・・なんだって?」
「あたしあんたのことをちゃんと思い出せないまま未亡人なんて、いやだものっ。
・・・優しくされてそのまんまなんて、悲しいわ」
マリナはちょっとうつむきながら、今までミシェルのくれた何気ない優しさを、思い返していた。
決して甘い言葉などかけないミシェルだったが、かえってそれが真実みをまして、マリナの心へ根付いていたのだ。
「あたし、まだあんたにお返ししてないもの。
―――あんたがいなくなっちゃったら、それも出来なくなってしまうわ」
自分の前に所在無げにたたずむマリナの頬が、ほんの少し朱に染まり、ミシェルはそれを見た時・・・無意識に口を開いていた。
「もっと素直に言えないのかよ、たとえば―――あなたがいなくなったら、淋しいわとか」
「う、うぬぼれないでよっ。
今まであんたがあたしにしてきたひどいことだって、ひどい言葉だって、ちゃんと覚えてるんですからねっ!」
ミシェルは素早く出した片手でマリナの後ろ髪をつかむと、少し乱暴に力をこめ、マリナの顔を自分に向けさせた。

鼻先をかすめる、マリナの香り。

「そのむこうっ気のあるとこなんか、最高に征服欲を刺激されるねぇ、マリナちゃん。
じゃなんで顔が赤いんだ?」

指先にからむ、マリナの髪。

「さ、サドミシェル!」

強い光を放つ、マリナの黒い瞳。

「おバカなお前に良いこと教えてやる。
世の中はな、搾取する側とされる側しかないんだ。僕とお前の立場は言わずもがな、だよな」

決して屈しない、マリナの毅然とした表情。

「そんなことない! 与え合う関係だってあるわ! 
一方的な想いだけで、人は生きてなんかいけないものっ」

ふっくらとした、マリナの唇。

「理想論なんかで腹はふくれないぜ」

小柄な肢体に、溢れんばかりに躍動する、マリナの魂。

「あんただってミシェル! あたしにいろいろ優しくしてくれたじゃないっ。
あたしそれがとっても嬉しかったもの、あんたにも優しくしたいって思ってる、あたし! 
あんたをちゃんと理解したいって思い始めてるっ。
思い出せない過去にすがるんじゃなくて、あんたとはじめからやり直したいって、思ってる! 
そう思わせてくれたのは、あんたよ・・・ミシェル!」

耳に、頭に、体に、甘く響く、マリナの声。
いつの間にかミシェルは、うっとりとのめりこむように、マリナを見つめていた。
「奪い奪われる関係だけじゃ、こんな気持ちは生まれてこないわ。そうでしょ、ミシェル?」

マリナの熱のある視線と絡んだ瞬間、ミシェルは我に返り、体をひいた。
突然のことでかすれそうになる声を無理に従わせ、ミシェルはつとめて、からかうような皮肉げな微笑みを浮かべた。

―――そうでもしないと、何かとんでもないことを・・・口走ってしまいそうだったから。

「―――迷惑だね。
お前に手を貸したのは、単に効率の問題だ。
ノロマなお前に任せてたら、僕の生活はめちゃくちゃになってしまうからね。
え? ドンくさいマリナちゃん」
「な、なによ! ひねくれミシェル!」
マリナはかっとなってミシェルの脇をすり抜けると、テラスに出るために駆けだした。


すると、またマリナの脳裏に何かがフラッシュバックした。


ひねくれ・・・何? 前にもこんなことあった? ミシェルと? 誰と?
鼓動が早く脈打ち、鋭い頭痛がマリナを襲う。
幾重にもベールがかかって見えないそれに向かって走るうち、マリナは一瞬外景を失い、自分がどこにいるのか、わからなくなった。
背後で何かが聞こえた瞬間、足元が滑り、そのままテラスの大理石の床に、したたかに全身を打ちつけるところだった―――ミシェルが手を強く引いて、そのたくましい胸に引き戻してくれなければ。

「ったく・・・。朝言っただろ・・・、昨日の雨でテラスは滑るから気をつけろって。何聞いてたんだ、お前」
危うく回避した危機の恐怖と安心で、マリナの鼓動はいよいよひどくなった。
しかし、鼓動の理由はそれだけではないことに、マリナは当に気付いていた。
広く、あたたかいミシェルの胸の中。
抱きしめられる腕の力強さ。


「―――ほら見ろ、だからお前から目が離せないんだ」


低くつぶやいてミシェルは、マリナに一瞥もせずリビングへと戻っていった。
目が・・・離せない?
ミシェルの言葉に呆然とたたずむマリナの脳裏に、様々な場面が浮かんできた。
あの時も、あの時も・・・見張られていると感じた全ては、監視していたのではなく、危なっかしいあたしから、目が離せなかったから?

ミシェルは、ずっと見ていてくれたんだ、あたしを。

マリナは突き動かされるように足を踏み出した。
頭を悩ませていた”何か”のことなど、もうどうでもよかった。
今この先にある、ミシェルの背中しか、目に入らなかった。
部屋を出ようとしたミシェルの背後に、ぶつかるように飛びついたマリナは、すがりつくように強くミシェルの背を抱きしめた。

ふいに募った愛しさと、置いていかれるような淋しさと、懐かしいようなその感触を胸に、マリナはミシェルの背に顔を埋めた。
そしてゆっくり顔を上げたマリナの目に、左手奥にある姿見に映った自分の姿が見える。

次いで飛びこんできたミシェルの表情―――!

きつく眉根をよせて、苦痛にゆがんだ苦しげなその顔。

わずかに開いた端正な唇は、呼吸も忘れたかのように、凍りついていた。

強く握りしめた拳、微動もしない・・・決してふり返らない、強張った背中。
 
拒絶―――されている。
 
マリナは弾かれたように手を引くと、あわてて言葉を押しだした。
「ごめ、んなさい。どうかしてたわ、あたし」
ミシェルはそのまま音もなく部屋を出ると、後ろ手にドアを閉めた。
するとふいに、大きなマリナの瞳から・・・大きな涙の滴が、ぼろりとこぼれ落ちた。
なぜ涙が出るのか不思議に思いながら、せめてこの姿をミシェルに見られないだけまだいいと、マリナは精一杯泣き続けた。



いつまでも、泣き続けた。








読んでくれてありがとう


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

切ない・・・セツナイです!
ツクラレタ愛だとわかっているから、振り返って抱きしめてあげることが出来ないミシェル。
シャルルの想い出とだぶるってしまうが故に、拒絶される苦しみに戸惑うマリナ。
だけどだんだんミシェル本人に惹かれはじめるこの描写が、たまらなくもどかしく涙を誘います。
夜中に読むと危険ですね、ポルトオシエル。
本当に原作と同じくらいのめり込んでしまいます!

ぷるぷるさん、お忙しそうですがお身体大事になさってください!
この作品をうんでくれて、ありがとうございます!
続き、ずっと待ち焦がれています!

ぷるぷる さんのコメント...

わはあ///匿名さんっコメありがとぉう!! ごめんね~今オシエル止まっちゃってて>< 次は秋口には再開するからね!
う~~///ミシェル、ねぇ(^^; オシエルミシェルはおもきし偽者ですけどね~(笑)書いてる内に情もわくってもんですよね、ハハ。
しかしてオンナの敵ではある彼ですが、彼女に関わっちゃった以上、もう逃げられないですよね。
基本マリナちゃんはリア充にはとことん嫌われますよね(笑) だけど心の穴の開いちゃったヒトには、踏み込みの強い彼女の図々しさに、自分のスキマをうめてもらえるんじゃないかと、どうしても希望を持ってしまう。開けっぴろげなヒトほど強いもんありませんからね~~(笑)
なんだっけ、愛の反対は憎しみじゃないんですよね、愛の反対は”無関心”だそうです。グレートマザーテレサが言ってたようなw
原作ミシェルは、たぶんマリナちゃんに近づきもしないと思うんですよね~シャルルより0・1がハッキリしてそうだし(笑) こーんな穴だらけなダサダサプラン絶対しないでしょう///あはっははっは(T∇T) …書いててかなしひ(笑)
だけどオシエルミシェルは関わってしまった。
しかもいちば~んマズイと思われるやり方で。愛したヒトにすりかわるって…マリナちゃんのパワーを誤算してますよねっ、明らかに!!! へへーんだ、ザマミーミシェルっっ、苦しめ苦しめ~~~~(ヒドイ) マリナちゃんをいじめた奴は許っさん(>□<)
…と、作者はこんなにカオスってるアブナイ人ですが、引かないで匿名さん…(^^;
でもこの苦しみは必然で必要だと思いまふ。生まれるには痛みが伴うのですよ、今こそ生まれ変わるチャンスだと思うのですが、さて、オシエルミシェルはそれに気付いて痛みを受け入れることが出来るんでしょうかねぇ…。
そしてぷるは、この物語を終わらすことが出来るんでしょうかねぇえええ…あっ、…イタっ、ちょ、物投げないでっっ!!!(笑)
とっても深夜に想いを打ち明けてくれて(しかも涙までっっ///)、ありがとです匿名さん♪ ぷるもなんとか彼を説得したいと思います(笑)
そしてお気遣いありがとうございますっm(_)m ぼちぼちやってくんでwwまた応援よろしくお願いいたしまッス!!