2011/04/11

epi:20 屈服のくちづけ



パートマリナ&ミシェル P


わからない、全てが。
もう何がどうなっているのか、自分でもひどく混乱している。
自分の立場がわからない、自分の気持ちがわからない、ミシェルが何を考えているのかわからない―――。


マリナは自室に閉じこもったまま、何時間もベッドでスケッチブックをにらんでいた。
しかし何を描くわけでもなく、いたずらに走る鉛筆をそのままに、不可解な図形をもうずっと描いている。
すでにA4サイズの用紙は真っ黒になりつつあった。
頭痛とめまいでひどく気分が悪く、何度も洗面台に駆けこんでは吐く物もなく、せきこむの繰り返しで、落ちついて考えようにも、とてもじゃないが叶わなかった。
いつの間にか雨音が窓を叩き、外は夜の帳がおりている。
ますます暗鬱とする雰囲気に、マリナは体を起し、今までの考えをふり切るように頭をふった。
なぜあんなことをしてしまったのか。
突然、ミシェルの背中しか見えなくなって、吸いこまれるように体が動いてしまった。
ああ言ってもらえたことが、とても嬉しかったことは確かだったけど・・・今になって考えると、それだけではなかったと、マリナは鉛筆を噛んだ。
あの時背を向けたミシェルに、たまらない懐かしさと淋しさを、はっきりと感じたのだ。

『だからお前から目が離せないんだ』
(―――・・・つも君を見ているよ、マリナ―――)

「イタっ! ・・・頭、いたい・・・っ」
ミシェルに? あの・・・背中に? 
しかし自分にとって、ミシェルとの今の関係は、はっきり言って居心地は良くなかった。
謎が多く秘密主義なところ、皮肉悪口は当たり前、暴力をふるわれたことだってある。
とも思えば、細やかな優しさを見せる時もあるし、消えてしまいそうなほど悲しげな表情をすることもあり、それにふり回されることに、正直うんざりしている。

でも時々見せてくれる柔らかな表情に、どうしようもなく惹かれるのは、なぜ?

皮肉と謎と底知れぬ激情をまとったミシェル。
悲しみと儚さと不器用な優しさを見せるミシェル。
そう・・・ミシェルがまるで2重にだぶったように感じる・・・。

「なんなのよ…」
再びベッドに寝そべったその時、ふいに冷たい恐怖がマリナを襲った。
―――愛情のかけらも感じなかった、ミシェルのセックス。
自分をぶつけるだけの激しいその営みは、マリナを痛めつけることを目的にしていたとしか思えないほど、思いやりに欠けるものばかり。
マリナは無意識に自分を抱きしめながら、冷たい指先の感触を追い払おうとした。
そういえば、街で倒れて以来、ミシェルは指一本触れてこようとはしなくなった。
そればかりか、意図的に避けられてすらいるような。
手のひらに、こわばったミシェルの背中の感触が、蘇る。
なんで? どうしてこんなにも、胸が押しつぶされそうになるの? 
あたしとミシェルは夫婦なのよね・・・あたしはミシェルが好きなの? 

ミシェルはあたしが・・・本当に好き、なの?

「ああもう、めんどくさい・・・」



――――――――コンコン



混乱したマリナの思考をやぶる音が、雨音に混じって確かに耳に届いた。
マリナは急いで身を起すと、ドアへ視線を向けた。
心臓が頭にあるのかと思う程、うるさいくらい耳元でなっている。
だがいつまでたっても、扉は開かなかった。
開けられるのを待っているかのように。
そっとベッドから下りてそのドアへ歩み寄り・・・ノブへと指を伸ばした。
自分でも笑ってしまうくらいに、震えているのがわかる。
地面が地震みたいに揺れているように感じる。
この気持ちはなにかしら。
もう一度拒絶されることへの恐怖? 
もう一度あの時間を取り戻せるんじゃないかという期待?

それでも・・・そばにいたいと思ってるあたしが、確かにここにいるわ。

怖い。
自分の記憶もわからない不安の中で、頼ることの出来るただ一人の人に、すがっているだけなのかしら、あたしは。
頼りたい、そう思う気持ちが恋にすり変わっているのかしら。
わけのわからないものに流されているようで、怖い。



―――会わなきゃ、会って顔を見て、きちんと話さなきゃ。
ミシェルと。



深呼吸をしてから開け放ったドアの向こうに、闇をはじく、美しい彼がいた。

「・・・ミシェル」
幾度も瞬く稲光が、その冷ややかな表情を浮かび上がらせた。
何の感情も浮かんでいない、魂を失った彫刻のような美しい容貌で、ミシェルは暗い廊下にたたずんでいた。
マリナがわずかに体をひくと、ひどくゆっくりと部屋の中に入り、手にしたトレーをテーブルに置くと、視線を卓上に固定したまま、小さくつぶやく。
「ひどい顔だぞ」
テーブルの上には、温かい紅茶の入ったカップが置かれていた。
「あの、これ飲んでいいの?」
「・・・茶は飲むものじゃないのか? それ以外の用途があるんなら、好きにすりゃいい」
ムッとしたように言い捨てたミシェルは、腕を組んでそっぽを向いてしまった。
先ほどの拒絶がマリナの中に強く残っていただけに、また見せられた優しさに少々戸惑って、遠慮が先にたって、そう聞いてしまっただけなのだが。
「そ、そんなつもりで言ったんじゃないわよっ。その、ありがとミシェル。
ああ、どんな時でもあったかいもの見ると、心がほっとするわ」
「・・・フン、単純だな。ま、扱いやすくてこっちは助かるけどな。エサでつりゃいいんだから」
「人を動物みたいにっ、し、失礼なこと言わないでよっ!」
「違うのか?」
振り返り様、ミシェルの繊細な頬を、いつもの皮肉げな微笑みが飾る。
その表情を見たとたん、マリナの心が静かに凪いでいった。
「やっぱりあんた、あたしのことよくわかってるのね」
「・・・伊達にずっと、見ちゃいない」
再び視線を伏せたミシェルに、マリナはそっと近寄ろうと、足を踏み出した。
とたんに緊張するように、ミシェルの雰囲気がわずかに硬化するのがわかり・・・マリナはこぼれそうになる吐息を飲みこんで、その脇をすり抜けて後ろの長いすに座ると、大きく息を吸いこみ明るく言った。
「つっ立ってないであんたも座れば?」
「っ、心底ずうずうしい女だな」
ミシェルは不意をつかれたようにはっとすると、それを隠すように悪態をついて、マリナの座る長いすの端に、なげやりに腰を落とした。

白金の髪が揺れて、華やかに繊細な横顔を彩る。
マリナは紅茶に向かって出した手を止め、その様に陶然として見とれた。

切なくて、はかなくて、懐かしくて。
置き忘れてきてしまった大切な想い。
ミシェルの横顔に、もどかしいほどの愛しさが募っていくのがわかる。

ちゃんと知りたい、彼を。

全てはミシェルの向こうに、ミシェルの中に、あるはずだから。


「ミシェル、お願いがあるの。あたしに・・・あんたの顔をよく見せてほしいの」


突然のマリナの言葉に、ミシェルは驚いたように振り返り、刺すような視線を投げつける。
「なに、言ってんだ、お前」
「もう、いやなの。こんな苦しい気持ちのままあんたのそばにいるのが。
あたし、ちゃんとあんたのこと・・・わかりたいのよ、お願い」
言葉なく呆然とするミシェルに近寄ったマリナは、そっと天使の頬を両手で覆うと、その繊細な美貌をじっと覗きこんだ。
自分の記憶の中を探るのではなく、目の前にいる今のミシェルの顔を見つめ、果してどんな気持ちがわきあがってくるのかを見極めたかった。
「あんたは、こんな顔してるのね。ちゃんと見るヒマもなかったもの。
とても綺麗ね、・・・口さえ開かなきゃまるで天使みたいだわ、ふふ」

ミシェルは、信じられなかった。
今まで誰からも省みられなかった自分を、まっすぐに見つめる視線の熱さが。
肌に触れる指先は、温かいぬくもりで満ちている。
それは、今まで何度マリナを抱いても―――得られないものだったのに。
先ほどマリナにつかまれた背中と同じ熱が、今頬からゆっくりとミシェルを侵していく。

「今まで、あたし自分だけで手いっぱいで、あんたのこと考える余裕なんてなかった。
あんたの立場で、ものを考えたことなんてなかった。
そうよね・・・悲しいわよね、怒りたくもなるわよね、繋がっていた想いをなくしてしまったんですもの。
ミシェル・・・あんたも苦しかったんでしょうね。
ほんとに、ごめんね・・・」

激しくなるばかりの雨音が、意識から遠のいていく。
ぶつかり合う視線の先には、もうお互いの顔しか見えていなかった。

「―――なんで、そんなこと言うんだ」
「な、なんでって・・・あんたと一緒にいたいから」
「なんで、さっき泣いてたんだ」
「そんなの、そんなの・・・悲しかったからに決まってるじゃないっ」
目の前ではっきりと言ったマリナは、再び拒絶される恐怖とたたかうようにして、それでもひたむきな視線をミシェルに向けていた。

物心ついてから、そんな眼差しを受けたことのないミシェルは、自分の全てが見えない蜘蛛の糸に絡め取られていくように、じわじわと麻痺していくのに抵抗出来ず、ただ愕然と、マリナを見つめるしかなかった。
やがてほぉっと吐息をついて、マリナは微笑む。
その―――綿菓子のような甘い笑顔に、がんじがらめに縛られていくのがわかった。





「マリナ・・・、―――触れても、いいか」





浮かされたように喋る、この声が誰のものかすら、わからない。
すでに知り尽くしたはずのその体に触れるのさえ、ためらわれるのはなぜだ。
しかし気持ちは裏腹に、マリナが欲しいと、胸を食い破らんばかりに、内側で凶暴な牙をむいていた。
だが、それを耐える痛みは身が溶けるほどに心地よく、酔いしれるほどに、深く深くミシェルを甘く苛んだ。

生まれて初めて感じる、なんと切ない甘美な痛みよ―――。

目元をわずかに染めたマリナが小さくうなずくのを見た時・・・このまま世界が滅びてしまえばいいと、ミシェルは願った。
「どうしたのミシェル、あたしいやよそんな目で見られるの。まるで観察してるみたい、怖いわ」
「・・・今までお前を好き勝手いたぶってきた僕が、こんなこと言う資格なんて、ないのにな」
「それも、あんたよ・・・ミシェル。
そしてあたしに優しくしてくれたのも、間違いなくあんた。
背中を向けられたあの時、あんなに悲しさが溢れてくるなんて、思いもよらなかった。
あんたを見てるだけでわき上がってくるこの切なさは、嘘じゃない。
そりゃあんたはとっても綺麗だから、ドキドキしちゃうのはしょうがないんだけど・・・そうじゃない、本物の何かがあるのよ。上手く言えないんだけど」

それは僕がシャルルと同じ姿だから―――だろう?

「でも癪だけど、あれだけいじめられても、あんたの側を離れちゃいけないって感じてるのも、どうやらホントみたいなの」

それは薬の暗示だから―――だろう?

はにかんだマリナのまっすぐな優しさを受けるたび、ミシェルの中の苦しみは増していった。
しかし、身をよじるほどに憎んだシャルルとリンクしていく自分に、あんなに感じた激しい憤りは、指間から逃げていく砂のように・・・音もなく、そよぎはじめた風にさらわれていった。

もう、わからないふりも、気付かないように避けていたことも、この笑顔の前では全てが無に帰していく。

認めたくなかった、自分の中にある愛に―――。
堕ちていく自分を、最早、どうすることも出来なかった。


「ミシェル、あたし、あんたのこと・・・」
・・・明るく微笑んだマリナに、逆らえる力は、ない。


伝わった熱と同じ熱さを持ったミシェルの体に、マリナは強く引き寄せられ、その胸深く耐え様もないほどきつく、抱きしめられた。
初めて感じるミシェルの本当の体温に、マリナは火傷するかと戸惑ったが、やがてその激しさに・・・素直に体を投げ出した。
魂をしぼりこむようなその抱擁は、やはり確かに覚えのあるもの。
息苦しささえ覚える愛しさの中で、マリナはぎゅっと瞳を閉じ、また自分もミシェルを包み込むように、たくましい背中にそっと手をまわす。

「せっかくいれてくれたお茶が、冷めちゃったわ」
「―――茶ならこれからいくらでも、美味いのをいれてやる」

ほの暗い闇にまぎれて、痛いほど切ない微笑を浮かべたミシェルは、抱きしめたままのマリナの髪に、恐る恐る口付けた。


それはミシェルの・・・最初で最後の、屈服のくちづけだった。


テーブルの上の小さな”真珠色”の水面は、そんな二人の虚像を映していたが、ふとした揺れにその姿はあっという間に揺らめき・・・ゆらゆらと儚く、夜の闇に、崩れ溶けていった―――。







読んでくれてありがとう




2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ドキドキです…っ
哀しくて切なくてドキドキっ( ;∀;)

これが二人の幸せな瞬間の最後なのですね…
ミシェルっ、あんなにイジワルだったのに可哀相でしょうがないです。
ぷるぷるさんの表現力、脱帽\(◎o◎)/!

ぷるぷる さんのコメント...

ぎゃはん>///<*匿名さん~足跡ありがとぉ!!
ごめんね~お返事遅れてっm(_)m
ドキドキしてくれてあんがとぉ~(;∇;)
そうね~あんなに意地悪だったのにね(笑)やっぱマリナちゃんの感染力は(笑)ハンパ無いんだね~近くにいると逆らえなくなっちゃうんだねww
でもさ、情も愛も、アルディの双子には絶対数が少なすぎるんだよ…だけど好きな女はシェアするわけにはイカンしねぇ。
みんなか幸せになれりゃあいんだけどねぇ…(シミジミ)
ミシェルもなんとかしてあげたいんだけどね~~果たして彼がぷるの情けなんか望んでいるかどうか(^^;ハハハ
逆らわれたらどうしよっか(笑)

なが~いお話、読んでくれてありがとね、匿名さん♪
またふらりとお言葉残してくれぃww ぷるまっとりますw