2011/04/12

epi:23光編 霞闇



パートミシェル リンダ


なんなんだっ! あの女は・・・
何で俺をイラ付かせる。
何でこんなに―――。

 
 
アイツは何も分かってない。
今、自分の腹の中に赤ん坊がいる事も、自分が無理やり此処に連れて来られたって事も、自分には、俺そっくりな夫が居るという事も。
その事実全てが、俺をイラつかせてる事も―――!

なのにアイツは無邪気に笑うんだ、俺に向けて・・・
体全部で・・・喜び笑う。
俺はアイツが笑うたび、言いようのない苦しみと、憎しみ―――それと同時に、何だか胸が締め付けられる様な感覚に襲われる。
そして・・・そしてアイツを思いきり、むちゃくちゃにしてやりたくなる。
むちゃくちゃに・・・・・この腕で、―――この胸に。

何でだっ! どうしたんだ俺は―――どうなってるんだ。
俺がこんなになるなんて・・・。
マリナの名が頭に浮かぶと、俺にそっくりなアイツ・・・俺がこの世で一番嫌いな生物―――シャルルまでがちらつく。
頭から離れない ハナレナイ ハナレナイ・・・・・



こんな日は決まってあの頃を想い出す。
俺がまだ、あの女をママンと呼んでいたあの頃を―――
 

 
幼い頃の俺は、とある広い屋敷に、あの女と数人の住み込みのメイドと共に暮らしていた。
その中に、かなりの歳で腰の曲がったミレーヌという、何かと口うるさいメイド頭がいた。
俺の行動一つ一つにすぐ口を出す。
でも、俺はミレーヌが嫌いじゃなかった。
あの女…ママンは、いつも泣いていた。
俺を見ていつも―――
「ああぁ・・・ミシェルごめんなさい。あなたが悪いんじゃないのに・・・ミシェル私を許して――あぁ・・・」
泣きながら俺を抱きしめる。
何度も何度も強く―――
でも、俺はママンが何を泣いて、何にそんなに謝っているのか全く分らなかった。
そんな時、いつもミレーヌが俺のところへとんで来て、すぐさま俺の肩を両手で抑え、真っ直ぐに目を見ながら、必ず同じ言葉をかけた。
「まあ、ミシェル様、そんなに苦しそうなお顔をなさらないでくださいまし。
奥様はとてもミシェル様を愛しておいでなのですよ。
愛しておいでになるからこそ、泣いてしまわれるのです。
それに奥様は他の方よりお優し過ぎるのです、だからミシェル様がこのお屋敷に住まわれてる事が不憫でならないのに、誰のせいにもできず、御自分でも受け入れきれず、罪悪感だけが強くなってしまい、お心が弱っておいでなのです。
すべてミシェル様が愛しいからこそです。
ですからミシェル様、どうかそんな顔でなく、笑ったお顔でいて下さい。
ミレーヌはミシェル様の笑顔が大好きですよ。奥様もええ、きっと。」
小さかった俺には、ミレーヌの言っている意味の半分も理解出来なかったが、魔法の呪文のように、ミレーヌの唱える言葉で俺の心は救われていた。

でも、時が経つにつれママンは壊れていった―――
あまり部屋の外に出なくなり、ママンの姿を見ない日が増えていった。
それでも俺は、何時の日か「ミシェル、こっちへいらっしゃい」とママンが言ってくれるのを、まだ諦めてはいなかった。
食事を一緒に取る事がなくなっても、ずっと・・・
日が経つにつれその想いは薄れ、ついには、泣いてばかりだと思っていたママンが、俺を見るととても我が子に言う事ではない様な言葉を、投げつけてくるようになった。
「だれかっ! 誰か来てっっ。この子をどこかに連れて行ってっ! 早く・・・!
あぁ私にその顔をみせないで―――あっちへ行ってっ!!」
さすがに心に刺さる言葉ではあったが、幼い頃から情緒不安定なママンを見てきた俺には、『いつかこんな日が来るのは予想してたさ』と、酷い言葉を浴びせられながらも、冷静にそんな事を考えられる余裕さえ、あったように思える。
そう、ミレーヌが俺の所にとんで来て、あの魔法の呪文を唱えるまでは―――
「ねぇミレーヌ、何でママンは僕を嫌うの? 僕は生まれちゃいけなかった? ねぇ答えてよ!」
せきを切ったように涙が、次々に頬を流れていった。
ミレーヌは泣きじゃくる俺を優しく抱きしめながら、
「今日は沢山泣きましょう。泣いて泣いて明日の分も、その次の分も、ずーっと先の分まで一緒に泣きましょう。
そして涙が出なくなったら―――強くなりましょう。
奥様がどこかで無くしてきた分まで、ミシェル様が強くなられるのです。」
「・・・僕が強くなれば、ママンは変わるの?」
「いいえミシェル様、奥様は変わりません。
ミシェル様が変わるのですよ。
ミシェル様が奥様の背負っている、罪悪感という名の重い十字架を、降ろしてさし上げるのです」
「ザイアクカン? ・・・ミレーヌ、罪悪感ってなあに?」
「ミシェル様、罪悪感とは、とても恐ろしいものです。
人間の生き方を、いとも簡単に変えてしまう悪魔なのです。罪悪感は目には見えません。でも、人の心に一度住み着けば、日に日に増幅し、いつかは心すべてを飲み込んでしまうのです。
心を飲み込まれると、全てが無になるのです。
喜びも、悲しみも、笑顔も、涙も全て。
―――――奥様はもう長い間、罪悪感と戦っているのです。
ミシェル様強くなって、奥様のお心を救ってさしあげましょう。
これは他の誰でもない、ミシェル様にしか出来ない事なのですから」



「うん。ミレーヌ・・・僕、強くなるよ。
誰よりも強く。
そしてママンを助けるんだ。
そして・・・ママンの笑顔を取り戻すんだ。」
 



 
結局その願いも、叶わず終いになった。
それから何ヶ月もしないうちにママン――あの女は死んだ。
俺の胸に深い悲しみと傷とそして・・・憎しみを残して。
 
 



あの女は死ぬ間際に言ったんだ。
「・・・し、てる・・わ・・シャ・・ル・・・ル」って、とても素敵な笑顔だった。
一年半ぶりに見たママンの笑顔。
でもその笑顔は、俺を見て、俺の手を握りながら―――俺ではない俺に向けられていた。
その声はかすかで、聞き取り難くはあったけど、確かに『シャルル』と言った。
『愛 し て る わ シ ャ ル ル』 と・・・
 



 
あの女が息を引き取って数日後、ミレーヌが俺の所に来て言った。
「ミシェル様、先程キューバに住むご親戚の方からご連絡がありまして、明日ミシェル様をお迎えに来られるそうです。」
「ミレーヌ、お迎えってなんで?」
「ミシェル様は明日から、キューバにお住まいになるのです、新しいご家族が出来るのですよ」
「いやだよっミレーヌ。僕、新しい家族なんていらないっ!ミレーヌと一緒がいいっ!」
「まあ! ありがとうございます。ミシェル様、ミレーヌは今のお言葉だけで充分でございます。
私はミシェル様が大好きです。だからこそミシェル様には、新しいご家族の方とお幸せになって頂きたいのです。
ミレーヌはこの通り、もう歳でございます。あと何年自分の足で立っていられるかも分かりません。
もう・・・引退を考えているのです。」
「そんな、ミレーヌ嘘でしょう? 嘘だよね! 僕ミレーヌがいなくなっちゃうなんて嫌だよ!!」
「ミシェル様・・・優しいミシェル様、もう、この老いぼれを休ませて下さいな、そうしたらもう少しの間・・・頑張れそうです」
「本当!? 休めばミレーヌはいなくならないのっ」
「・・・ええ勿論ですとも。」
「うん。じゃあ僕キューバへ行くよ。だからミレーヌもゆっくり休んでね。
・・・・・・・ねぇミレーヌ、お別れの前に一つだけ教えてくれる?」
「何をですか?」



「――――シャルルって、誰?」



「・・・・・・・・」
「ミシェル様、どこでその名前を?」
「・・・ママンがね、死ぬ間際に僕を見ながら言ったんだ。―――『愛してるわシャルル』って・・・」
「ああ! 神よっ! あなたはどこまで、ミシェル様に意地悪なんでしょうぅ―――。」
そう言ってミレーヌは泣いてしまった。
しばらくして落ち着いたミレーヌは、俺の生い立ち全てを、教えてくれた・・・。
そして幼い頃からの疑問が、この時すべてとけた―――
ママンが毎日泣いていた事も、俺を見たくないと言った訳も、罪悪感の理由も・・・
前からうすうす感じていた、俺ではない、もう一人の誰かがいる事を・・・
でも、死ぬ間際に呼んだ名前が俺ではない、その『シャルル』って奴だなんてっ!!
そんな事、許せるかっ!!

この時から、俺の中のママンが憎い人間に変わった、そしてまだ見ぬ『シャルル』も・・・








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