2011/04/14

epi:29光編 光のアーチ



パートミシェル&マリナ リンダ


あたしは腕に抱いていたミシェルの温もりの心地よさに、いつの間にか眠っていたようだった。

でも、気付くとミシェルの温もりはあたしの腕にはもうなく、この部屋にミシェルの匂いはなかった。
あたしは少し心配だったけど、ミシェルの気持ちを考え探しにいくのをやめ、まだ起きてない頭をそのまま壁にあずけた。



もう少し寝かせて・・・・
もしかしたら、朝になれば夕べのことがすべて夢になってるかもしれない。

あたしは眠りと目覚めの間のゆらゆらした空間を漂っていた。
それはとても気持ちよくあたしを酔わせてくれていて、あたしが、もう一度眠りに落ちようとしていたその時、暖かい毛布があたしの上にそっと優しく掛けられた。
天使の羽のようにやわらかく、暖かく、とても落ち着く匂いのする毛布―――
これは、ミシェルの香り・・・
あたしがハッとして目を開けると、ミシェルが丁度部屋を出て行くところだった。
あたしはその背中にむかって、朝に似合う明るい声で言った。
「ありがとう、でもあたし、もうおきるわ。おはようミシェル」
あたしの声にミシェルは歩くのを止め、こちらをゆっくり振り向いた。
あーお願い神様! ミシェルが笑ってくれますように。
ううん。笑わなくてもいい、せめて言葉を交わしてくれますように!
そんなハラハラしたあたしをあっさり裏切るようにミシェルは、

「おはようマリナ、今朝は僕が紅茶をいれるよ、マリナは卵を焼いてくれるかい」

―――とても優しい笑顔だった。
ミシェルのそれは何よりも素敵で、夕べのこともなにも無かったかのようにあたしの心を明るくしてくれ、そして、同時に・・・シャルルを思い出させた。
あたしは胸が張り裂けそうになり、それを隠すように大声で答えた。
「オッケー、まかせてちょうだいっ。でも卵はスクランブルエッグでいいかしら。なぜだか分からないけど、あたしが焼くと目玉焼きもオムレツも、スクランブルエッグになっちゃうのよね。」
そんなあたしに、ミシェルはとても優しく穏やかな笑顔をくれた。
その微笑みはあたしの中にごく自然に広がっていき、あたしの元気の素に変わった。

今はミシェルを、ミシェルだけを見よう。


顔を上げ、朝の空気をお腹一杯吸い込んで、あたしはキッチンへ向うミシェルを急ぎ足で追い、ミシェルの前にまわり込み、ミシェルの足を止めて言った。
「んもう、行き先は同じなんだから一緒に行きましょうよ。さっエスコートをして頂けるかしら?」
あたしが右手を差し出すと、ミシェルはフフンと鼻で笑いながら、あたしの挑戦的な行動を受けてたった。
表情を飛び切りの笑顔に変え、あたしの前に優雅に膝を落とした。
「これはこれは気付きませんで、わたくしとでは少々腕の位置に差があり過ぎるかと思い、遠慮しておりました。
私は膝を落として中腰で上手く歩くなんて器用な事は出来ませんが、それでも良ければ喜んで、さあどうぞ、マドモアゼル」
くっ、くそーーー!!
巧みにやり込められたあたしは悔しい気持ちを押さえつつ、ミシェルの左腕に腕を絡めようとしたのだけど・・・。
うっ、ミシェルの指摘通り腕の位置があまりにも違いすぎ、はたから見たらミシェルにぶら下ってるようにしか見えない!
こうなる事を知っていて、中腰では歩かないと先手を打ったミシェルの賢さに関心し、同時に自分の腕の短さを恨んだ。
あたしが上手くミシェルと腕を組む方法をさがし四苦八苦していると、目の前にミシェルの手が差し出された。
あたしがキョトンとしミシェルを見ると、ミシェルはソッポを向きながら言った。

「ほら、これなら大丈夫だろ」

その手は白くて細くて、でも大きくて何より暖かそうで。
あたしは無意識に・・・本当に無意識に引寄せられるように、その左手にあたしの右手を重ねていた。


前を見れば、まっすぐに続く長い廊下。
素敵なフランス窓からは眩しすぎるほどの朝日が差し込み、見慣れたはずの廊下をとても素晴らしいものに変えていた。
差し詰めそれは、歩いてゆけば天国にでも辿り付いてしまうんじゃないかと思うほどで、その幾つもの光のアーチの中を、今あたしとミシェルは、一つになって歩いていた。
それはとても誇らしく、清らかで、あたしとミシェルを祝福してくれているようでもあった。

「キレイ―――」
あたしが呟くと
「ああ」
眩しそうな顔をしたミシェルが答えた


あたしたちは歩いた。
ただ無心に・・・
そこには損も得も善も悪もなく
神でさえも立ち入る事の許されない
二人だけの空間

聞こえてくるのは、いつもよりはるかにゆるやかなミシェルの靴音
その音を心に響かせながら、繋いだ手に力を込めた
ミシェルを 二人を
歩調を―――
いつもよりも少し早い心音さえも重なり合わせながら・・・全てがこの世のものであることを、確認する為に。


やがて、真直ぐにゆっくりと歩むあたしたちの前に、扉が見えてきた。
二人の夢のような時間がもうすぐ終わりを告げる。
あの扉を開けたら――――終わってしまう。
あたしたちはその扉の一歩手前で、どちらともなく歩みを止めた。

あたしの瞳には・・・
ミシェル

ミシェルの瞳には―――
あたし・・・

本当の心が伝わりあう―――あたしの本当の気持ち。
記憶が戻ってもなお、あたしはミシェルが好きなんだ・・・
ううん。最初からきっと記憶とかそんなもの、関係ないんだと思う。
時間も過程も、出会い方さえ。

ミシェルがあたしを見つめながら、ゆっくり体を傾ける。
あたしはそれに答えるように、ミシェルに唇を向けようとした。
けれど、それ以上ミシェルがあたしに近づく事はなかった。
ミシェルの中の何かが、ミシェルの素直な心に、ブレーキをかけたから。ミシェルの顔がみるみる苦悩の色に染まっていく。
ミシェルの瞳からは、さっきまでの甘やかなきらめきは消えていて、代わりにやり切れない鈍い光があった。
あたしは繋いだミシェルの手を、あたしの胸にあてミシェルに言った。

「ねぇミシェル、あたしはここにいるわ。あたしの心はここにあるわ」

ミシェルを見つめあたしはそっと瞳を閉じた
静かな時間が流れる
衣ずれの音が聞こえ空気が動く、ミシェルがあたしに近づいてくるのが分かる
永遠とも感じられる時間がもどかしい


―――そっと、あたしの唇に柔らかな感触が重なる
―――少し冷たいミシェルの唇は、僅かに、震えていた


つかの間の時間、振り向けばまだそこには幾つもの光のアーチ。
繋いだ手から伝わる確かな温もり。
一つ一つをたどっていく。
それはとても厳かで、まるで何かの儀式のように感じられた。
今この瞬間だけは、世界中があたしたちを許してる。

あたしの頬を涙が伝った。
「・・・どうした?」
とても不安そうなミシェルが、あたしを覗き込む。




「あたし、あんたが、とても好きだわ」




瞬間ミシェルがあたしを強く、とても強く抱きしめた。―――息もできないほどに。
こんなに情熱的なミシェルを見るのは初めてで、あたしをひどくドキドキさせた。
そしてあたしをゆっくり引き離したかと思うと、
ブルーグレーの瞳にあたしを映し、ミシェルの形のいい唇が・・・熱く優しく、あたしを求めた。

あたしは幸せの絶頂にいた。
こんなにも素敵な人から
こんなにも情熱的なキスをもらって。

もうこのドアを開けても大丈夫、これからもずっと続いていくんだから。

いつまでも―――この手も唇も、あたしの傍に。










読んでくれてありがとう




0 件のコメント: