2011/04/06

epi:3 Porte au ciel



パートミシェル コジカ


心地良い闇に身を委ねていたマリナの上に、ふいに濃い影が覆い被さった。
ついと上げられた神経質そうな白い指先が、安らかに寝息をたてる胸元を這う。そのまま柔らかな首を撫で上げ、やがて闇に小さく花開く、可憐な唇へとたどり着く。


ゆらりと影が揺れたかと思うと、マリナの静かな安息の時はふいに終わりを告げた。
唇をふさがれ、呼吸を奪われ、マリナの意識は闇の深淵から、無理やりに引き上げられる・・・。
「ん・・・んむ、・・・くるしいわ、シャルル・・・? 帰ってくる予定が早まったの?」
重いまぶたを持ち上げ、待ち焦がれた愛しい者の体を探すように、ゆっくりと手を上げたその時、季節はずれの雷鳴が轟いた。
暗い闇を引き裂くようなまばゆい光が、一瞬差し込み、マリナに覆い被さる人物の顔を照らし出す。
それは―――自分の夫ではなかった。
限りないほど、似通ったその美貌は、おそらく誰が見ても”彼”を彼と疑わないだろう。
冷ややかな研ぎ澄まされた美しさに、物憂げな繊細さが同居した、奇跡のようなその体現。
しかし、今自分の目の前にいるのは―――まったく違う魂を持った、別人。

「・・・ミシェル!!」

叫んでマリナは飛び退くように身をひくと、胸元までシーツを引き上げ、不遜な侵入者を毅然とにらみ返した。
「バレタか。さすがだねぇ君は。機械ですら、僕たちの見分けはつかないっていうのに・・・どんなに繕っても、あんただけはすぐ見破ってしまうんだねぇ。
ここに来るまでのセキュリティーを乗っ取るのに少々時間がかかったけど、やっと君に会えたよ、マリナ。」
「いっ、一体何の用なの? ミシェル。シャルルは今出かけているのよ!? こんな時間に入ってこないで」
「あれ? 愚問じゃない? マリナちゃん。
もう忘れてしまったのかい。つれないじゃないか。男が夜中に女の部屋に入るとしたらそれは・・・」
「やめて! じ、冗談はやめて! からかわないでよ。こんな時間に全然楽しくないわよっ。
早く出ッ・・・!!! 痛ッ」
ミシェルはマリナの腕をこともなく掴み上げ、有無を言わさずその動きを奪った。
青灰の瞳が無情にも鋭く光り、マリナを射抜く。


「生憎と、僕もこんな時間に、わざわざこんな所にまで、冗談を言いにくるほどの趣味は持ち合わせちゃいないんだ。そんな暇人でも無いしね。

だったらなぜか―――それはね、マリナちゃん。君をちょっくらさらいに来たってわけなのさ」

「痛いわっ!! や、ちょ放してっ! ミシェル! あたしは何処にも行かないわよっ。
あんたは知らないかもしれないけど、あたしはシャルルと結婚したのよ!?
あんたの兄さんと!」
「・・・どうやら、そうらしいねえ。
君もよくあんな男と一緒に過ごす気になったものさ。
でも、それが何? あいつはしょっちゅうここに居ないじゃない? 今ごろどっかでよろしくやってんじゃないの。君もけなげだよねえ。」
「ち、違うわ!! 
シャルルはねえ、お医者さんなのよ。あの人の助けを必要としているたくさんの人のために、シャルルは自分の時間を削って、色んな所に出かけて行ってるわっ。文句や弱音ひとつ吐かずにねっ。
そんな人だから、あたしは彼を愛しているし尊敬している!
天才だからとか、そんなのじゃなく、その魂を愛しているのよ!
知りもしないで、勝手なこと言わないでちょうだいっ

「あっそう。たくさんの人だかなんだか知らないけどね、今助けを必要としているのは、君なんじゃないのかい?
忍び込んできた男に、こうして否応なく押さえ込まれているんだからねえ。
・・・そうじゃない、マリナ?」
「いったいなに考えてるの! こんなことやめて!
あんたは確かに、理不尽な運命を背負ったかも知れないわっ。
でも、もう振り返るのはやめて前を見て。
あんたなら、あたしなんかと違ってなんでもできるはずだわ。
運命は変えることができなかったかも知れないけど、これからのあんたの人生は、いくらでも変えることができるじゃない!」
「・・・くだらない御託をどうもありがとう、マリナちゃん。
それじゃありがたく、お言葉に甘えて僕の思いどうりにさせて頂くとするよ。」
「そ、そうじゃなくって!!」
「僕はねぇ、あんたがどんなによごれていようともね、たとえ誰の物であったとしても・・・一向に構わないんだよ。
さて、そろそろ静かにしてもらおうかね。」

そういうが早いかミシェルは、手に持った何かを、彼女の口に流し込んだ。

「ぐふっ、なにこれっ! 一体何!?」


「・・・ほんとに可愛い唇だよねぇ、キスを誘っているみたいだよ全く」


「さ、誘ってなんか無いわ!! いー加減にして!」


「―――いいや、とてもキスだけでは、すみそうに無いよ」



ミシェルはしなやかに微笑むと、はだけたマリナの胸にキスを落としていった。
両手の自由は完全に奪われ、体を組み敷かれ、抵抗しようにもどうにもならず、理不尽な陵辱に唇を噛みしめながら、マリナはひたすら自分の非力さを呪った。




「あ! い、痛っ。何すんのよ! 誤魔化さないで答えて! あんたあたしに何を飲ませたの!?」
「ああ、あれかい? 僕が作ったただの忘れ薬さ。」
「何ですってー!! 元に戻して! 許さないわよ、ミシェル!」
「ふふふ・・・あの男は、君のこんな所にキスマークなんかついているのを見たら、さぞ悔しがるだろうね。他の男が君を抱きましたって証拠だもの。
それを知った時の、あの男の顔を見るのが楽しみでならないね・・・。
なんせ、心の狭い唯我独尊男だからね! ハハッ」


マリナは強烈な恐怖と悪寒を感じながら、急激な眠りの淵に沈もうとしていた。




「あれ? マリナちゃん、もう薬がまわって来たようだね」




「・・・・あたし  は・・ぜっ、  たいに忘れたりなん か、しないわ・・絶対に・・・・・!」




「フン・・・それじゃ、面倒が起きる前に、退散するとしますかね」


そう言いながらミシェルは、意識を失ったマリナを腕の中に抱え上げた。
ミシェルは闇に身を潜ませながら、出口に向かう。

とうとう―――とうとう、手に入れた。
もう、逃がさない、決して。

途中ふと足を止めたかと思うと、ミシェルは隠されたモニターカメラに向かって、艶やかな微笑を一瞬浮かべ、懐から抜いた銃でいきなりそれを打ち抜いた。
くゆる硝煙の中、野生の獣のように身を翻すと、ミシェルは勝ち誇ったように笑った―――。



「と、いうわけだよ兄さん?
あんたの大事なマリナちゃんは貰って行くからさ。



それじゃ、―――永遠にアデュー」








読んでくれてありがとう


0 件のコメント: