2011/04/07

epi:7 確信と不安



パートマリナ コジカ


それはとても美しいヴィラだった。

古い白い壁に木の漆喰が打ち込まれ、辺りの緑と素晴らしく調和がとれていた。
その穏やかな外観からは想像できないが、一歩中に入ると、深いブラウンの重厚な扉で統一された近代的な、―――そう、まるで要塞のような造りになっていた。
そして不思議とどこか隠れ家のような雰囲気が漂う。


美しい、とても美しい・・・それは、闇のラビリンスだった。


自分の夫だと言う男と暮らし出して、早くも二ヶ月が経とうとしていた。
ここに本当に、自分が以前から住んでいた所なのだろうか?
洗濯物を干しながら、マリナはいつも感じていることを、ふと心の中で呟いた。
この家には、初めから生活感と言うものが全く感じられなかった。
人の気配さえしない。
この洗濯物だって、夫―――ミシェルは、全自動なんだから放り込んどけばいいさ、と言っているが、マリナはこんなに天気がいいんだから、パリーッと外に干したっていいじゃないと言って、聞かなかった。
・・・これは日本人の性かもしれないが。
複雑で入り組んだ部屋の配置、いかにも精巧で高性能そうなコンピューターの数々、ミシェルはそれを何でもなく使いこなしていたが、あたしにはサッパリ分からない。
「これは仕事なんだよ」とミシェルは言うが、画面を見ても一体何をしているのか、全く分からない。

それどころか、あたしは建物内でさえ何度も迷った。今でもよく分からない場所が沢山ある。
でもあたしが迷って途方にくれていると、必ず何処からか美貌の男が現れ、
「一体君は何度迷えば気が済むんだい?
いい加減、せめて自分の生活テリトリー内だけでもいいから覚えろよ。
じゃなきゃ生き残れないぜ全く。
最も君は食べ物のあるところだけはすぐにでも嗅ぎ付けそうだけどねぇ。」
と皮肉げに、苦笑しながら連れ戻しに来てくれた。
「うるさいわねッ!!
こんなぐちゃぐちゃしているのが悪いんじゃないっ。
大体二人だけなんだからもっと単純な家にしなさいよ。広すぎなのよ、ここは!」
それでも、どこかその男の皮肉な口調に懐かしさを感じながら、照れ隠しの悪態をつくことが、あたしの日常だった。


「あれ? マリナもっと狭い所で密着してたいってことかい?
それは分かってやれなくて失礼したねえ。」


「そういう意味じゃないわよ!」


でも、いつもどうしてあたしの居場所が分かるんだろう。

監視されているのかもしれないと思う時がある。

それはきっと・・・あたしの勘違いね。
だってあの人はこのごろ随分明るくなったもの・・・。

そう、あたしは初めあの人が正直な所ちょっと怖かった。

ふと気が付くと、ミシェルはあたしの中に、ここには無い何かの存在が在りはしないかと、確かめるように、その綺麗な青灰色の瞳で見つめることが多々あった。
そんな色をどこかで見たと思いながらも思い出せず・・・
私は不思議に思って、どうしたの? と聞くと、いつもハッとしたように顔を背けて、何でもないと言うばかりだったから。
夫婦だと言う言葉を信じ、言われるままに寝食を共にした。
いつもあの人は、自分の全てを絞り込む様に・・・あたしを愛した。
そのまるで箍の外れた様な熱情に、あたしは耐え切れず意識を手放してしまうことがほとんどだった。
今でもそうした行為が苦手なあたしは、慰めるようにあの人をさする事しか出来無い時がある。

ふと漏れたあたしの呟きに、その瞳が絶望に染まり、首を絞められそうになったこともある。
あれは一体なんだったんだろう。
いつもは冷たいぐらい冷静で、淡白に見えるその魂に、ふと吹き荒れる感情の移り変わりの嵐に・・・尋常じゃない何かを感じることがあった。

それが何処から来るものなのか―――今のあたしには、わからない。





洗濯籠からシャツを取り、皺を伸ばそうとしていると、ふいに背後から伸びてきた、長くてしなやかな腕に捕らえられた。
突然の事にマリナはバランスを失って、持っていたシャツを思わず落としながらよろけてしまい、その腕の主の、硬くて広い胸に背中をぶつけてようやく止まった。
「何考えてた? マリナ」
ほんの少し緊張を孕んだ声が、頭の上から降ってきた。
マリナは芝生にひきずってしまった洗濯物を見て、内心ミシェルをにらんでいたが、その声があまりにも真剣だったので、少し疑問に思いながらも、ちょっと息をつき首を傾けて、その厚い胸に頬をよせた。
「別に何も考えちゃいないわよ。
ただ今日はイイお天気だから、お布団も干しちゃおっかなーとか思ってただけよ。
そしたら凄くお布団ふかふかになって、よく眠れるの。お日様の匂いがしちゃうんだから。
あんた、もしかしたら知らないでしょ。
なんでも放り込んで、乾燥機かければいいだろーな人なんだから。ふふふ」
そう言って、まっすぐに男の目を見ながら微笑を浮かべた。
ミシェルはしばらくの間、じっと腕の中のマリナを見つめると、ふっとその鋭利な瞳の輝きを緩めた。
「だいぶ口がうまくなってきたじゃないか。
以前は口よりも圧倒的に、手が出る確率が高かったのにさ。」
「な、なによそれっ。
あ、でもあんたの皮肉にいじめられながら、しごかれたっていうのもあるのかもしれないわね。ふんっ」
「君は本当に、朝っぱらからちょろちょろと元気だよねえ。
皮肉はともかく、夜あんなにも僕がしごいてやってるのにさ。
その調子で料理の腕も上げて欲しいもんだね。
初めは全く猫のエサ並だったからねえ。ライスにカツオブシかけて、ソイソースで食べてた時は、目を疑ったよ。
君の食生活ってどーなってるのかってさ。
今まで一度も、料理というものをしたことが無いみたいじゃないか。」
「う、うるさいわねー。
や、やらしいことを朝っぱらから真面目な顔して言わないでよ!
それにねえ、おいしいんだから! カツオ節ご飯! 
そんなに言うんだったらあんた作ってよっ。あたしなんかより断然上手なんだものっ。
でもさ、ほんとあんたって、ほっとくと何食でも抜いちゃうんだからどうかしてるわよ全く。もっとその腕を出し惜しみしないで活用しなさいよ。」
「嫌だね。
そうやって僕をうまく丸め込もうたってそうはいかないよ、マリナ?
僕は基本的に、食べることにこだわりは無いんだよ。だからこそ、君のへんてこりんな創作料理にも、付き合ってやれるんじゃないか。ありがたく思って欲しいもんだね。
君は食事の時間に律儀過ぎるから、その分必要性に迫られて、上手くなるかもしれないじゃないか

だから君が料理するって事は、一石二鳥なのさ。」
「ふんっ。もーどうとでも言えばいいわ。
そのへんてこりんな料理で困るのは、あんたなんだからね! 
文句は言わさないわよ、覚えてらっしゃいっ。」
「残念だねぇ、生憎と僕は何食べても胃は丈夫な方でね。
ご心配には及ばないんだよ。ダーリン?」
和やかな朝だった。
あの人には、何を言っても理路整然と倍返しの皮肉で返されてしまうけど、以前のようなどこか息がつまるような緊張感は薄らいだ。

前は一見和やかに見えても、張り詰めた様な物があった。
時々、隠そうとはしているけど、それでも緊張感が漂うのは何故なのだろう。

もしかしたら・・・あの人は、まだあたしに何かを隠しているのかもしれない。

マリナはその身体に感じる感触にも、自分を見つめる青灰の瞳にも、記憶のどこかで以前感じた切なさと、限りなく同じだという確信があったが―――




本能のどこかで・・・この確信を揺るがす不安を、感じていた。







読んでくれてありがとう



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