2011/04/07

epi:9 ツクラレタ愛



パートマリナ コジカ


昨夜からあの人は珍しく出かけている。
昨夜は凄い嵐の夜だったのに・・・。
用事という用事は、ほとんど全てこの家の中で、おそらくは―――あたしは今でも不思議に思っているのだけれど―――画面上で済ませてしまっている人だから、なんだか家を空けているということが、ひどく妙に感じる。
自分から出かけることはホントに珍しい。
まるで世間にその美貌を晒すのを避けているかのようだ。
あんなに綺麗なのに何故なんだろうと、あたしはいつも思う。
何か理由があるような気がするが、それは聞いてはいけないことのように感じる―――。


朝目覚めた時にいつも一番に感じるのは、あたしの身体に絡みついている、あの人の長い腕だった。
これは以前からの癖なのだろうかと思う。
一度その囲いから抜け出たことがあるけど、すぐさま手首を掴まれて、引きずり戻された。
冬はあったかくていいかもしれないけど、夏は暑苦しいだろうと思う。
きっとその季節になれば、しなくなるのだろうけどね。

今朝目覚めると、昨日の嵐が嘘のように晴れていた。
こうなると、もう外に出かけていくしかないでショー? な感じよね。
えへへ。
いつもはあの人に堅く止められているものだから、遠出して街まで出かけることは全く無かった。
すごく気になるんだけど、あの人が、ちょっとどうしていいか分からなくなるほど、悲しみをたたえた怖い顔をするので、あたしはいつも押し切ることが出来ない。

だからあたしは、いつもビィラの周りの森で、そこに生える植物や、ちらりちらりと姿を見せる小動物をデッサンしたり、そうでなけれな苦手だけど、料理なんかしてみたりして、有り余る時間を過ごしている。
なぜだか絵を書いていると時間を忘れるので、退屈と思うことはほとんどなかった。
それに、敷地の広大な森はいろいろな発見に満ちている。

もし・・・人物画が書きたければ、すッごく嫌がるけど、あの人は書きどころ満載なウハウハ素材だから、なんにも不満に思うことは無かった。
むしろそんな生活は楽しかったくらい。

あの人は基本的に、あまり感情を表には出さないし、またそれを言葉に表すこともしない。
けれど博学で、謎に満ちていて、それに意外に単純でカワイイ所も・・・、

探せば、ある、かも、しれない・・・。
でも、いつまでたってもたった二人だけの世界だった。
それ以外の人間との触れ合いは無かった。
自分は今までどんな人と関わっていたんだろう。
最初から二人だけだったのだろうか。

思い出せないで忘れ去ってしまっている、自分の過去が知りたいと、こうして一人になるとふと思ってしまう。
よし決めた!

あの人が帰ってくるまでに、急いで回ってくればいいのよね、市場まで!!
うん、ナイスアイデアだわ!

あたしは少しだけれど、小銭とティッシュが入ったポシェットを引っつかんで、鉄砲玉のように表に飛び出した。

そこにどんな悲劇が待っているとも知らずに・・・。



嵐の過ぎ去った街は、とても賑わっていた。
初めて見るその賑わいに、あたしはただただびっくりしていた。沢山の人の感情の行き交いに触れ、何だか懐かしさが込み上げる。

あたしの持っている小銭で、絵の具ぐらい買えるかしら。
それとも何か食べ物を~~・・・とか?

それいい!! それいい!! 決めたー!

あたしはひたすらウキウキしながら、立ち並ぶ店を見渡した。
「あっ、あのカフェ良さそうじゃない?」
ターゲット発見! わーい! パフェにしようかしら? いいえ、それともケーキ!?
どっちも食べちゃおうかしら、お金が足りればだけど・・・。
そんなことを考えながら、あたしは喜び勇んで、人で混みあった大通りで、身体の向きを変え歩き出した。
とその瞬間、本当にわずかだけど、花の香りがあたしの鼻腔をくすぐった。

その感覚があたしの頭の中で―――電気となって走った。

今まで見ようと思っても、どうしても思い出せなかった記憶の欠片を、わずかに捕まえられそうな気がした。
ずっと霧がかかっていたあたしの心に、一瞬だけど光が射し込み、大切な‘何か‘を映し出してくれそうだった。
悲しいほどの親近感。
あたしはそれを逃したくなくて、それが何処から発せられているのかに、神経を集中させた。
その時、少し遠く人ごみの向こうに、一時途絶えたその隙間に、店先に花を飾った一軒の花屋さんが見えた。

あれだ・・・。
引き寄せられる様にその店先まで、ズルズルと歩いていく。
息が・・・とても、とても苦しい。
激しい眩暈を感じながらも、やっとそこにたどり着く。

そこに置かれていた花は、色とりどりの―バラ―だった。
その香をかみ締めながらふと目を上げると、店の奥に置かれたその花が、目に飛び込んできた。
―――白い、白すぎて青く見えるほど白い、染み入るように美しいバラだった。
何事にも傷つけられないよう、厳重なガラス張りでヒンヤリと冷えた中に、そのバラだけ孤独にひっそりと置かれている。
やっと会えた。
なぜかそれを見た瞬間、強烈にそう思った。
何故? ・・・なぜ? どうして?
自然と涙が込み上げてくる。
出てきた店の主人が、あたしに気づいて言う。
「アレー、お嬢ちゃんそんなにこのバラが気に入ったのかい? この時期にすごく珍しいだろう?
これはなんたって、本場からの直輸入なものだからねえ。
そんなに気にいってくれちゃッたんなら、こっちも勉強するよー」
マリナはありったっけのお金を出し、震える声を絞り出すようにしていった。
「お、おじさん。一本、一本だけでいいんです。これで何とかならないでしょうか」
といって小銭を差し出した。
気が付くと、もうその時には涙で頬がぬれていた。

何故なのか? どうしてなのか? 
わからないままに、マリナは泣き続けていた。

「ああ、いいよいいよ、もーお嬢ちゃんにあげるから。もう泣きやみなよー。本当にどーしちゃったんだい?」
店の主人が、バラを出すために冷蔵保存の扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ出てくる。そこから開きかけの瑞々しい一本を取り出すと、主人はマリナに差し出した。
「はいよ、お嬢ちゃん。大切にしてね」
「あ、ありがとう、ありがとうございます! きっときっと、大切にしますからっ」
バラを受け取って、胸にそっと抱きながらお辞儀をしようとしたとたん、込み上げてくる嘔吐と眩暈に見舞われた。
天地が逆転したように感じた時には、マリナはもう立っている事が出来ず、それでもバラをかばうように、その場に崩折れた。
突然のことに慌てた店主によって、意識を失ったままのマリナは、救急病院へと運ばれた。

マリナの中にもう一つの新しい命が芽生え始めている事を、その時はまだ、誰も知る者はいなかった・・・。







読んでくれてありがとう


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