2011/04/10

Porte au ciel  番外編



Porte   au   ciel  番外編 ~シャルル&マリナ&ガイ        

Written by コジカ&春(&P)







~KOJIKA
ヨーロッパの短い夏の情熱的な太陽が沈み、美しい夕焼けが広がる晩夏のある宵。
まだ薄っすらと汗をかくほどの残暑が残るその夕闇が、今は人々の華やかな喧騒で賑わっている。
城を借り切って行われているパーティー会場に、遠目に見てもひときわ目を引く美貌の男がいた。
漂う雰囲気は儚くも物憂げで、一見しただけでは男か女か区別が付かずに迷ってしまいそうな感じさえするが、人々に囲まれて談笑するその口ぶりは、はっきりとよく通る澄んだ声であり、そのことからも彼が見かけどうりの人物とは、異なるであろうことが容易にわかった。
彼の名は、シャルル・ドゥ・アルディ。
フランスの旧貴族出身の大富豪で、その当主でありながら数々の学術研究の分野で華々しい成果を総なめにし、近々政界にも進出するのではといわれている、所謂天才で、フランスの華ともいわれる青年だった。
貴族特有ともいえる硬質な上品さと、軽々しく感情を表さない冷たく冴えた無表情で、たとえこちらがにこやかに歓談してようとも、どこか人々との間に一線を引き決して交じろうとはしない、決して溶けない氷のような男。
社交界きっての有名人でありながら、その人嫌いと評される徹底した排他的な性格で、めったなことでは人前には姿を見せることはなかった。
誰をも魅了する美貌を持ちながら、その様な厭世家でいつも取り付くしまもない偏屈な彼が、最近突然に日本人の女と結婚したということで、話題をさらった。
その相手の女について散々人々の興味を買い、はたまた年頃の社交界デビューした女性陣からは、羨望と嫉妬の眼差しを買いまくった。
しかし、実際に彼自身が姿を見せる機会は殆どなく、彼女を連れ立って、外に出るのを嫌っているかのように表舞台に出ないために、未だに人々は彼女の人物像をつかめずにいた。
そんな彼が今日は久しぶりに会場に姿を見せたせいで、場が浮き立ち、即座に人々に囲まれてしまった。
シャルルはいつもの物憂い微笑を交えつつ、それに対応していたが、今日に限っては少し落ち着きなく時折チラチラと、注意深く会場内に視線を這わせている。
よくよく注意してみていなければ分からないかもしれないが、いつもの彼らしからぬその不信な行動は、実は会場に彼の妻である―――マリナが来ているはず、という理由があったからである。
元々シャルルはこのパーティーは、仕事と重なったために出席するつもりなどなかったのだが、偶然にも運が悪いことにマリナがその招待状をみつけてしまい、出席したいといいはった。
マリナが一体なぜかというと、その招待状の主が、イギリスのガイからのものであったことが、ばれてしまったからだ。

「キャーー懐かしいわねぇ、すっごい久しぶりだわ~。
ガイもあの彫刻みたいな伯爵と、うまくやってるみたいじゃない。
いつか、様子を見に行かなきゃと思ってたとこなのよね。シャルル、あたしこれ出席したい。」
「だめだよ。オレは仕事でいけないから。それに、あっちはあっちでうまくやってるみたいだから、何もお前が見に行く必要はないだろ。」
「え~~行きたい。あ、これって別に同伴とかじゃないみたいだし、もし、シャルルが行けないんだったら、あたし一人でも行ってもいいじゃない。いいでしょう。」
「へぇー君がそんなに出席したがるなんて意外だね。そんなにあいつに会いたいってわけ。」
「あ、なんかひっかかるわねぇその言い方。
別にただ会場も近くだし、ちょっと心配してたから挨拶しに行くぐらいいいじゃないよ。
そうよ、ただそれだけでしょう?」
「とにかくだめだ。
君が考えるほど、こういうパーティーはお気楽じゃないんだ。お前みたいに、食べ放題のノリの奴を野放しにするなんて、考えただけでも頭が痛い。」
「し、しつれいねぇ。そ、そんな食べ物目的じゃないもん。ガイの様子見るだけだもん。
あ~、ほんと何年ぶりぐらいかなぁ。
もしかして結婚式以来?
最初見たときはとんだ野生児だったけど、努力家だからなー、ちったーあの伯爵に合わせて紳士になったかもね。かっこよくなっただろうね~ガイ。
いいもん、シャルルが行けなくてもあたし絶対行くから。」
「ふん。勝手にすれば? オレはもうお前がどこで食い倒れてても一切知らないからな。」
「そんなわけないじゃない。あたしだってもう、いい年した立派なレディーなんだから。一人でも大丈夫よ」
「ハッ。どうだか・・・?」






~P

と冷たい一瞥を与えて、荒々しく出て行ってしまったのが、つい先日のこと―――。
まさか会場に、シャルルが来ているとは夢にも思っていないマリナは、まるで解き放たれた犬のように飛び回って、テーブルの料理を堪能していた。
目移りしながら次々と皿に料理をよそい、次々とそれをたいらげていく。ややもすると、大皿を抱えたまま嬉々として大口を開けていたりもした。
こんな姿をシャルルが見たら何というか・・・。
初めはマリナも、目当ての人物を探しはしていた。
だがやがて、立ち並ぶスラリとした紳士淑女を掻き分けて探すのに疲れて、休憩のつもりでちらりとテーブルに寄ったが最後―――あとはマリナお決まりのコース、という訳だ。
そうしてミツバチのようにブッフェテーブルを飛び回るうち、マリナは突然大きな壁にぶち当たり、その拍子に手に持った皿をその表面に景気よくぶちまけてしまった。
彼女にしてみれば、突然現れたこの壁がなんであるかなど問題ではなく、自分の胃におさまるはずだった貴重な食料が、それによって邪魔されたことの方に苛立ちが募った。
憎々しげにその巨大な壁を見上げれば、はるか頭上で繊細なシャンデリアの光を受けて輝く金の髪が、目に飛び込んできたではないか。
その輝きに、懐かしさと本来の目的を思い出したマリナは、高価なタキシードにまだへばりついていたテリーヌをつまんで口に放り込みながら、歓喜の声を上げた。
「ガイ! ガイでしょう!」
「マ、リナ!?」
ふいに振り返ったそのあまりにも優美な美しさに、マリナは頬張ったテリーヌを、あやうく口からこぼれ落とすところだった。
以前はまだ幼さを残したような表情をしていたはずの、ジャングルから来た友人が、目を見張るほどの変貌をとげていたからだ。
夢のような蜂蜜色に輝く金髪は、ゆるいカーブを描きながら彼の頭上を王冠のように飾り、その下では凛とした輝きを宿したサファイアブルーの瞳が、磨き上げられた宝玉のように、気品溢れる光を放っている。
かつての精悍さを残したままの見事なプロポーションを、仕立ての良いタキシードに包ませて、豪華に着飾った人々の間に堂々と立つその様は、もうまぎれもない上流階級の人間のそれだったから。
しかし不思議と周囲を和ませ、あたたかい雰囲気にさせる彼の魅力は損なわれておらず、父親ゆずりのシャープな頬に浮かんだ人なつこい笑顔に、マリナは心の底から彼との再会を喜んだ。
一緒に登った木の上でかわした言葉、まっすぐで純粋で無垢な心、自分の名誉と家族の愛を勝ちとった時の、彼の涙。
蘇る懐かしい記憶の本流が噴水のように湧きあがり、マリナは言葉につまった。
ああ、あんた、とっても幸せになったのね。
自分をちゃんと磨いて、そして何倍にも立派になって、こうしてステキな姿をあたしに見せてくれた。
よくやったわね、ガイ。
「マリナ…本当に、マリナ!? 会いたかったよ、マリナ!」
感傷もつかの間。
そう叫んだガイにいきなり両脇を掴まれて、マリナはなんと親が子供にそうするように、上空高くまで持ち上げられてしまい、遥か高みから澄ました人々があっけに取られて呆然としている光景を、ばっちりと見てしまったのだ。
それはそうだろう。
今までそつなくパーティの主賓をつとめていた、若きソールズベリ伯爵が、いきなり声高に叫ぶや否や、少女を抱え上げ子供のように笑ったのだから。
「な、なにやってんのよばかガイ! お、下ろしてちょーだいっ、みんなビックリしてるじゃない!」
その声にはっとしたように、ガイは慌ててマリナをフロアに下ろすと、少し息をついて周囲を振り返り、
「失礼しました。再会というものはいつも嬉しいものですね、思いがけない友人の登場でちょっとはしゃいでしまいました」
…そのはにかんだ極上の笑顔に、ガイの周りにいたご婦人たちは誰もが頬を染め、母性本能をくすぐられたようにつられて微笑んでいた。
当のマリナも例にもれず、ガイの生来の穏やかさや純粋さが、よくこの世界に馴染んでいるものだと驚いていた。…これで背中にテリーヌがくっついてさえいなければ、もっといいのだが。
まだ張りついていたカケラを食べようとガイの背中に腕を伸ばしたその時、振り返った彼にそれを見られ、ついで背後の凄惨なありさままでが発覚してしまった。
「あっ、あの、今日のお料理とっても美味しかったのっ、そんであんたのデカイ背中も食べたいかしら~なんて思って…あはは」
うろたえるマリナに、しかしガイは怒るどころか明るく笑うと、大きな手でマリナの頭をぽんとたたいた。
「マリナのビックリ箱は相変わらずだね」
「あんたって…うう、あんたって、なんて和むのっ。最近あたしのまわりってすさんでるのよねっ、寛大さに欠けるっていうか。ああ、久々に心が洗われるようだわっ。まったくシャルルにも見習わせたいくらいよっ。
でもガイっ、人がいいだけじゃこの世界生き残っていけないのよっ。あんた彼女できた!? 気をつけないとぼーっとしてるあんたなんか、百戦練磨の有閑マダムに食べられちゃうんだから」
「彼女ね」
その時サファイアブルーの瞳がふいに揺らぎ、ガイはそれを隠すように僅かに下を向くと、精悍な口元に淋しげな微笑みを浮かべた。
「ど、どうしたの、あたしなんか悪いこと言っちゃったっ? もしかしてもう手遅れだったとかっ」
「―――彼女なんて、いないよ」
小さくそうつぶやくとガイは中座の挨拶をし、マリナをうながして廊下に出た。
途端に華やかな喧騒は遠ざかり、二人は並んで豪奢な絨毯敷きの廊下を、主賓室へと向って歩いた。小さなマリナの歩幅に合わせるように、ガイはゆっくりと歩調を落として……。
「着替えなくちゃね。テリーヌをくっつけたままじゃ、さすがにホスト役はつとまらない」
「うう、ごめんなさい。そういえばあんた日本語うまくなったわねー、びっくりしちゃったわ」
「勉強したんだ。少しでも…マリナの国のこと、知りたかったから」
「えっ、どうして?」
「えっ、その…、オレは今まで知らないことが多すぎたからね。少しづつ、外に目を向けようと思ってさ」
まるで懐かしいものを見るような目で、ガイは遠くを見つめていた。少しの切なさを含んだ、優しい瞳で。
「ガイ、なんか寂しいことでもあったの? 心配ごとがあるんなら遠慮なく言うのよっ。お金はないけど、話聞くぐらいならいつでも出来るから、すぐ呼んでちょうだいっ。とんでくからねっ、原稿がなかったら」
「…ありがと、マリナ。そんなんじゃないから大丈夫、心配しないで」
「そう? ほんとにいつでも言うのよ! でもガイ、あんたとってもステキになったわ。あたしあんたのお母さん代わりみたいだったから、あんたが立派になってくれて本当に嬉しい。お父さんともうまくやってるのね」
ガイの足元を跳ねるように歩きながらマリナがそう言うと、とたんにピタリと、長身の体躯が止まった。
「ごめん…、今、なんて言ったの?」
「え、どの部分? ステキになったわって誉めたのよっ」
「違う、その後」
「えーと、あたしがあんたのお母さん代わりみたいだったからって、とこ? うっ、ズーズーしかったかしら!? そ、そりゃあんたのホントのママの美貌には遠く及ばないでしょうけど、薫の作ったマイフェアボーイやったのは…」
言いながらマリナが頭上を振り仰ぐと、驚いたことに、そこにはきつく瞳を閉じ、まるで激しい苦痛に耐えるかのような表情をしたガイの、悲痛な顔があった。
驚いたマリナは急いでガイの腕に飛びつくと、必死に叫んだ。
「一体どうしちゃったの、ガイ! やっぱり変よあんたっ、どっか痛いの? 部屋まで歩ける!? ちょっと待ってて、誰か呼んでくるからっ」
その場を離れようとしたマリナの腕が、ふいに引き戻される。
その時、美しいイントネーションの異国の言葉が、マリナの耳に飛びこんできたではないか。
『―――改めて言われると、結構こたえる……』
「ガイっ、早くしないと…わっ、ちょっ…!」
ふいにガイの大きな身体が倒れこむように、自分の方に傾いたので、マリナは慌てて彼を支えようとしたが、体格の差は歴然。小さなマリナではそれも叶わず、思わずよろりと後退した拍子に、廊下の壁に背中をぶつけてしまった。
―――ガイはマリナには指一本触れなかったが、たくましい両腕の中にマリナを囲うような仕草で膝まづき、下を向いていた。
蜂蜜色の金髪が、細かく震えている。
マリナの両脇についた拳は、弾けそうになる想いを無理やり封じ込めるように、堅く握りしめられていた。
マリナは驚きのあまり声も出せず、呆然とうつむいたガイの姿を見下ろしていた。
『……マリナ、マリナ。あれからオレ、死ぬほど考えたよ。頭がおかしくなるんじゃないかってくらい…! 
君は間違いだって言ったけど、オレ、やっぱり―――ちゃんと君に恋してた…! じゃなきゃ、こんなに胸が苦しくなるはずない! 
―――お願いマリナ、オレが君に恋していたことだけはわかって。
オレは、ちゃんと君を…愛してたよ…!』
これが、封じ込めていたガイの真実だった。
―――しかしマリナにはその言葉の意味がわかるはずもなく、振り絞るような苦しげなガイの言葉に、ただただ背中を撫でるよりなかった。
「苦しいの!? ああやっぱり疲れが出たのね、あんたはよく頑張ったわ。いいわよ、気分が落ちつくまでゆっくりしてたらいいわ。あたしずっとそばにいてあげるから、ね? 何か欲しいもんある? フルーツでも持ってきてあげようかっ?」
心配そうにマリナがガイの頭を抱きしめると、ややして―――ガイはマリナの腕を自分の頭からそっと離すと、肩で大きく息をつき…今出来る精一杯の微笑みを浮かべた。
「ごめん―――、もう、大丈夫。でも少し一人になって頭を冷やすよ」
「ダメよ! こんなになってるあんたを放っておけるわけないでしょう!? せめて部屋までは一緒に行かせてちょうだいっ」
「だめ…マリナ、オレ…今二人きりになったら、自信が、ない…」
「なに言ってるの! みんなあんたを待ってるのよっ、今日のパーティはあんたが主役でしょう!? 何の自信がないっていうのっ、あんたは立派にやってたわっ。あともうちょっとじゃない、しっかりしなさいっ」
ガイは驚いたように瞳をあげると、眼前のマリナを食い入るように見つめた。
「…オレ、立派にやれてた?」
「ええ、とっても! だって、みんな楽しそうだったでしょ。ガイの周りにいた人達のくつろいだ顔、あたしちゃんと見たわ。
あんたはみんなを穏やかな気分にさせるの、それってすごいことなのよっ。だって考えてもみてよ、あのシャルルなんかパーティ出ただけで、周りが緊張するのよ!? あたしにだってあれするな、これするなってウルサク言うばっかりだしっ。
このツンと澄ました世界での癒し系って、かなり珍しい稀少品なのよぉ。
少しはツンケンした連中のカドをとってやりなさいよ! 
ね、あんたのこと、みんなが待ってるわ。元気だして早く戻りましょう」
晴々とした顔でそう言い放ったマリナを眺めながら、やがてガイは、小さく吹きだすと肩を揺すって笑いだした。
「ああマリナ、やっぱり君はサイコーだね。
―――『はじめて好きになった女の子が君で、本当に良かったよ』」
「なに笑ってんのよっ、心配したんだからね、もうっ」
「ゴメンゴメン! さあ、大急ぎで着替えなきゃね」
「あっ、せめてその染みだけはあたしに取らせてくれない? あたしの責任なんだし」
「気にしないで良いよ、マリナ」
「そうはいかないわっ。一人の時にちゃんとやっとかないと、シャルルにバレた時またイヤミ言われちゃうものっ。ほんと心配症なのよねっ、だいたい過保護すぎなのよシャルルったら!」
ぷうと頬をふくらませたマリナを見て、ガイは胸のうずきを飲み込みながら、微笑んだ。
恋人のことを喋るマリナはなんて可愛いのだろうと、まぶしい光を見るように優しく目をにじませながら…。
「フフ、オレはシャルルの苦労がわかる気がするよ」
「なっ、なんですってぇ、あんたまでー!」
「だってマリナ、とても綺麗になったもの。彼も気が気じゃないのさ、誰かに取られやしないかってさ」
「えっ、や、やだーガイったらっ、お世辞まで言えるようになっちゃってっ。そんなにキレイになった? あたしっ。気分いいわぁ、もっと言ってちょうだい」
「そういうことは恋人に言ってもらったほうがいいよ。…オレもまだ命は惜しいからね。ところでシャルルは?」
重厚な主賓室のドアを開けながら、ガイは上着を脱いだ。すかさずマリナがそれを奪って、洗面室へと駆けこむ。
「え、シャルルー? 今日は一人で来たのよ、その、ちょっとケンカしちゃって」
タオルを片手に、大きなタキシードと格闘しながらマリナがつぶやくと、いつの間にか背後にガイがいて、マリナは驚いた。
緩めた首元から覗いた男性的な色気にどきりとし、今まで気付かなかったガイのつけている香水の香りまでも感じてしまい、マリナは熱くなる頬を隠すのに必死になった。
ガイはゆっくりと、たくましい片手を壁について身体を寄りかからせると、正面の鏡の中のマリナをサファイアブルーの瞳にとらえ、少し強い口調で言った。
「マリナ、こういうパーティーは何があるかわからないんだから、絶対に一人で来ちゃいけないよ。シャルルと一緒じゃなきゃだめだ。いいね?」
うって変わった雰囲気をまとったガイは、確かに上流階級の分別をわきまえたソールズベリ伯爵の顔だった。
その顔が、先ほどのシャルルとふいに重なる。
とたんにきゅっと胸が締めつけられ、忙しいシャルルにわがままを押し通した自分が恥かしくなり、マリナはしょぼんとしながらガイを振り返った。
「ごめんなさい。あんたに会えるって思ったら、いてもたってもいられなくなっちゃって…。ルール違反だったわね、シャルルにもちゃんと謝っておくわ」
「うん、彼も君を思えばこそいろいろ言うんだと思うよ。それは彼の誠実さだ、マリナ、君を守るためのね」
にこりと笑って、ガイは上半身を屈めてマリナと目線を合わせた。
つられてマリナも笑いながら、二人は会えなかった時間が嘘だったかのように、昔のように笑いあった。
「ああ、オレがママであるマリナを諭せる日が来るなんてね。
…そうだ、渡そうかどうか迷ってたんだけど、今までオレの面倒をみてくれたお礼だから、いいよね。君に似合うネックレスを見かけたから買っておいたんだ。いつかプレゼントができるかと思ってさ」
ガイははにかみながらそう言うと部屋の中に戻り、ビロードのケースを大事そうに持ってきた。
興味深そうにのぞきこむマリナの目の前で、そっとそれを開けると、かなり華奢なつくりのピンクトパーズの、なんとも可愛いらしいペンダントが、静かに横たわっているではないか。
あまり宝石類には縁のないマリナは、その可愛らしさに嬌声を上げた。
「いいの!? くれるの!? あとで返せって言ってももうダメよっ」
「はは、言うわけないだろそんなこと。マリナのために買ったんだから。一応誕生石だと思うんだけど」
「つけてつけてっ」
「じ、自分でやりなよ」
「あたしこういうのつけるのヘタなのよっ、だいたいこんな小さい穴に見ないで引っ掛けるなんて芸当、出来るわけないでしょっ。はやくっ」
くるりと後ろを向いたマリナの、柔らかな首すじを視界の端にとらえながら、ガイは大きく吐息をついてネックレスを手に取った。
アップにされた褐色の髪から、大人の女性の香りが漂い、ガイは震えそうになる指を不器用そうに動かし、そっと、マリナの肌に触れないように注意深くネックレスを首元に回した。
ガイもこんなことに慣れているわけではないので、何度も苦労してやっと留め具をつけた時は、ひどく疲れてしまっていた。
「わあ、ありがとうガイ! どう、似合うかしらっ」
「うん、とってもよく似合うよ。喜んでくれてよかった。
それで、これからどうするの、マリナ」
「そうね、あんたの顔見たらすぐ帰るつもりだったし、もう行こうかしら。お料理もうちょっと食べたかったけどね」
「フフ、持って帰れるように用意させようか? その間に、その」
「なに?」
ガイは新しい上着に袖を通し襟を正すと、きちんとマリナに向い合い、意を決するように言った。
「…よかったら、最後に一曲踊ってくれないかな。ほら、お互いの成果を見せるためにもさ…思い出にも、なるし」
なぜか恐る恐るつぶやいたガイの言葉に、マリナは瞳を輝かせて、大きくうなづいた。
「のぞむところよっ、あたしだって練習してるんだからね。受けてたつわっ」
ダンスの誘いになんとも場違いな返答をしながらも、マリナとガイは連れ立って、パーティ会場へと繰り出した。






~KOJIKA
ホールに立つ二人は、注目の的だった。
浮いた噂ひとつないソールズベリ伯爵が、小柄な少女を伴ってダンスの輪に入ったので、自然と周囲は潮が引くように人気が引いて行った。
かなりの身長さがある二人は、まるで大人と子供のようで、ガイはかなり猫背気味になりながら、必死にマリナをリードしようと無駄な試みをしていた。
ガイの足を踏み踏み二曲目が終わったところ。
「マ、マリナ…練習って…本当に習っているの?」
冷や汗をかきながらガイがそう尋ねると、マリナは憮然としたように答えた。
「やってるわよっ、これ以上ないってくらい一生懸命にねっ。ただ一曲中、シャルルの足を20回ぐらいふんずけたら、それ以来標準以上踊れるようになるまで、相手しないって言われちゃったのよっ。練習台がいないんじゃ話にならないわよねっ。でもちゃんとイメージトレーニングはしてるのよ、これでも」
「はぁ、た、大変だね」
慰めるように言ったガイの頬が、少しこわばっていたのは、仕方のないことだっただろう……。
そうなの、そうなの! と鼻息荒く憤慨するマリナが、ふと人々が歓談する会場の方から自分に突き刺さる鋭い視線を感じると、―――そこには、ギラリと瞳を不穏に光らせた、見覚えのありすぎる顔があるではないか。
異彩を放つ美貌の人……それは先日ケンカ別れをした夫の、シャルル・ドゥ・アルディその人であった。
ガイの身体の影に慌てふためいて隠れたマリナは、オロオロと視線をさまよわせた。
シャルルにまだ気が付かないお人好しなガイは、ビクビクしているマリナを引き寄せて、どうしたのと身をかがめて聞いてくる。
慌てたマリナが隠れ先をアワアワと探している間に、いよいよシャルルが、険しい視線のまま人ごみを掻き分けて、ツカツカとこちらに向って歩いてくるではないか。
マリナはそのシャルルの雰囲気に、ただならぬ怒りを感じていた。
やがて二人のいる所にまで来たシャルルは、ガイの背後に立つと、たくましい肩をぐいと掴んで声をかけた。
「ガイ、久しぶりだな。」
ふいに肩に加わった強い力にガイはマリナを離し振り返ると、そこにまた懐かしい友人の顔があった。
「シャルル!? いつ来たんだい」
「ちょっと前にね。うちのハネッ返りがご迷惑お掛けしているころかと思ってね。仕事を打ち切ってきたってわけなんだけど。
来ない方がよかったかな、案外楽しくやってたみたいじゃないか。」
辛辣で冷ややかな微笑みを浮かべたシャルルに、マリナは下から声を張り上げた。
「そ、そうよ、あんたいなくてもちゃんとガイに会えたんだからっ。……食べ物の汁引っ掛けちゃったり、足踏みまくったりしちゃったけど」
「まったく…、やっぱりな。ガイ、悪かったな。こいつがとんだ迷惑掛けて。そろそろオレが引き取って帰るから、お守りはもういいぜ。」
青灰の瞳に牽制するような高圧的な光を輝かせながら、シャルルはガイをななめに見ると、すぐにマリナの姿に視線を向けた。
やがて―――ガイは吐息をついてニッコリ笑うと、マリナをシャルルへと促すように、身体を脇へどけた。
「心配しなくてもマリナはお返しするよ、シャルル。君の奥さんだ。遅ればせながら結婚おめでとう。忙しいのに来てくれてありがとう、今夜は懐かしい二人に会えてとても楽しかった。
よかったらゆっくりしていってくれ。マリナもまだ食べたりないみたいだしね。
またフランスに来た時はよろしく頼むよ。じゃ、ごゆっくり。」
ガイは変わらぬ人なつこい笑顔を浮かべると、洗練された身のこなしでまた人々の中へと戻っていった。
「え、ちょっガイ! 待ってよ~っ」
展開の早さについていけないマリナの手を強引につかむと、シャルルは腰を引き寄せてまるで、チークダンスのような姿勢を取った。きつく抱きしめられながら、必死に帰ろうコールを繰りかえすマリナなどてんで無視するシャルルは、この時点でかなり周囲の視線を集めていた。
ガイといる時に感じた視線とは訳が違う。
目の前の、暗い情熱をたぎらせた青灰の瞳は、もう完全に外野など感知していない。
マリナはおどおどとシャルルに話かけた。
「ね、ねぇ、ガイにも会えたし、もう、家帰らない?」
「―――あれほどダメだと言ったのに君は。
しかも誰も連れないで本当に一人で行くなんて、いくらなんで非常識すぎる。何も起こらずたまたまガイに行き会えたからいいようなものの、何かあったらどうする気なんだ。
こんなわからずやにはちょっと灸をすえないといけないな……。」
そう低く言うと、集まる視線をまったく解さず、マリナの頬に唇を寄せるとやがてじわじわと唇を合わせてくるではないか。
「ちょ、ちょっと!! やめてよっ、皆見てるじゃない! んっ、し、シャルル…っ」
腕をシャルルの胸について力いっぱい引き離そうとするが…逆にそれが悪かったのかもしれない。
獰猛な光を青灰色の瞳に一瞬光らせると、シャルルはマリナの腰に回した腕にさらに強い力を込めて、より身体を密着させた。
「それがどうした……、君はオレのものだ。何も恥ずかしがることなんかないはずだろう」
「い、いやっ。は、離してよこの変態…!!」
「だめだよ、マリナ。そんなに身をよじって刺激されたらその気になってしまうじゃないか。・・・おとなしくしないと、これからの展開の保証はしないぜ…」
耳に唇を寄せられてそう囁かれては、さしものマリナも押し黙るしかない。
茹でたこよりも真っ赤になって、ひたすら周りを見ないように、シャルルの胸に突っ伏すしかなかった。
もしそのやり取りを聞いた者がいたら、皆唖然と腰を抜かしたかもしれない。
何せあの誰もが近づきたくても叶わない、氷のアルディ家の貴公子を変態呼ばわりし、真っ赤になっているこの小さな少女が、その氷を溶かすような春のごとくの輝かしさで、彼を微笑ませているのだから。
「それに、許せないね。他の男が君に触れて抱きしめていたなんて。たとえ、ガイであっても、ね。君が誰かと踊ってるのを見たとき、どうにかなっちまいそうだったよ。
もう絶対に一人でパーティーなんかには出さないから覚悟しろよ。」
「な、なによそれっ、ただちょっと踊ってただけじゃない。あんたが練習台になってくれないから上達しないのよっ。皆と踊っちゃいけないんだったら、一体あたしって何のためにダンス習わされてんのかわからないじゃない!」
「そんなの決まってるだろう? こうやって公衆の面前で、君が誰のものかわからせるためさ。」
「げっ、何よそれっ。だったらもっと協力的になりなさいよ。さっきも散々ガイの足踏んじゃったし。この調子じゃいつ標準以上になれるかわかんないわよっ。」
「だったら、それまでだろ。オレは知らないね。君に付き合って足の指を骨折したくはないんでね。」
「ひ、ひどいぃぃ~っ。それぐらいあんたならちゃっちゃと治せるでしょうが! せこいこと言ってんじゃないわよ」
むくれるマリナにキスを落として黙らせると、シャルルはふとその瞳を魅惑的にきらめかせた。
「ねぇ、マリナ。今日は綺麗に出来たね。これはいつかオレがデザインしたものだけど、やっと着てくれる気になったってわけ? やっぱり似合うよ、いつもこうしていたらいいのに。」
「はぁ? やーよこんな動きにくいもの。そ、そりゃーせっかく作ってくれたものだから着なきゃって、いつも申し訳なく思ってるけどさ。へへ、でも、たまにはいいものかもしれないわね。あんたあんまり外出したがらないけど、またこういう機会があったら黙ってないでつれてってね。」
「それはそうと、何か覚えのないネックレスしてるようだけど? それ、どうしたんだ。マリナそんなもの持っていたか? 誰かの形見か何かかい?」
「あ、これ? ウフフ、やっぱり気が付いた~? 可愛いでしょう。
なんかね、さっきガイにもらったの。あたしに似合うかもって、わざわざ買っておいてくれたんだって。あたしの誕生石なんだってさ。スッゴク可愛いからあたしも気に入ってるのっ。
ほんと優しいわよねガイ…って、イタっ。っちょっと!! どこいくのよっ、引っ張んないでよっ!」
突然に腕を食い込むほど掴み上げられて、ざわめく観衆の間を冷酷な無表情のままに縫う様に引きずられ、マリナは再び会場から連れだされた。
たぶんシャルルが予備に取っていただろう空き部屋につくと、マリナはベットの上に放り出された。
勢いついてそこにつんのめってしまったが、あまりに突然な仕打ちにくわっと起き上がると、マリナは白金の美貌の暴君をきっと睨みつけた。
「いきなり何よ!? 痛いじゃない!!」
振り返って彼を見ると、ドアまで戻るや否や荒々しくドアを閉めると、ガチャリと鍵を閉めていた。
その音の冷たさに、マリナはぞくりとして思わず後ずさる。
無言でいても、すさまじい怒りのオーラがそこらじゅうに散漫しているようで、マリナはとにかく怖かった。
そうしてシャルルは冷えた無表情のままゆっくり近づいてくると、細い指を上げて、華奢に出来ているそのネックレスに手をかけ―――いきなりパーンッと引き裂いたではないか。
ネックレスのヘッドがその勢いで飛び散り、パリーンと音を立てて床に落ちた。
一瞬何が起こったか理解できずに呆然とそれを見守っていたが、首筋に残る痛みが本当のことだということを語っている。
―――ガイが、せっかくあたしの為にくれたものなのに。
―――大切な友人からのプレゼントだったのに。
「っつ、なんてことするのよ!! ひどい!! ひどいよシャルル・・・!! 謝ってよっ。もうこんなことしないってあやまんなさいよ!!」
マリナは、慌てて飛び散った残骸を拾いに行こうとすると、それより早く両腕を捕えられ、無理やりシャルルに向き合わされてしまった。


「・・・君はまだ分かってないようだな。―――あれほど君はオレのものだと、オレだけのものだと教えたのに。
他の男に贈られた物をその肌に触れさせるなんて。
二度と…二度とそんなものはつけるな!!」


首飾りを引き裂かれ薄っすら赤く残る首筋にまるで、貪る様に噛み付かれるように口付けされ、マリナは一瞬眩暈がした。
恐ろしいほどの独占欲。自分に向けられる狂おしいまでの欲望。
人がこれほどまでに激しく、渇いた眼差しで誰かを見つめる事ができるとは・・・。
結婚して、益々強くなる独占欲に、シャルルは正直かなり自分自身でもやばいと参っていた。
そう、結婚という名の檻に閉じ込めても所詮は紙切れ一枚の契約である。
そんな紙切れで永遠など誓えない。約束などされない。
今や、シャルルにとってマリナの存在はいわば麻薬であった。
知ってしまったなら、一度でもその恍惚感を味わってしまったなら、もう二度とそれ無しではいられなくなるほどの強烈な、強力な麻薬。
ずっと、ずっと長いこと手に入れたいと思っていた彼女を実際に自分のものにしたとき、シャルルには今まで感じたことのない、気が狂ってしまいそうなほどの快感と幸福に溺れていた。
どうしても、たとえどんなに疲れている日であろうが、手を出さずには、彼女を感じずにはいられない。
そんな自分を恐ろしくも思い、そして同時に愛しすぎるがゆえに、大切過ぎるが為に無意識のうちに臆病にもなった。


彼女が、マリナが私の前からいなくなってしまったら、一体私は、私はどうすればいい・・・。


君が、君だけが傍にいてくれればそれでいい。他には何も望まない。何もいらない。


だから、少しでもマリナの視線が彷徨った時。

どこまでも冷酷にどこまでも苛烈にそれを阻止しようと情熱の荒れる自分を止められなかった。


そのことが度々君を傷つける。





マリナ、どうか俺を怖がらないで。

君ガイナクナッテシマッタラ・・・私ハドウスレバイイ・・・







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08/01/2003発表の作品です・・・













この作品は03年2/7~12までに
真夜中のカフェ(当時のLPD地下BBSです)に寄せられたものでございます!
ご存知オシエルの生みの親であるコジカ嬢のカキコを受け
春様が完結させてくださった、まさに夢の物語でございます!
ぷるはガイ君が書けてシアワセでございました(^^)

・・・目が離せないドキドキの展開、シャルルの激しいまでの独占欲と葛藤!
たまりません、倒れそうです・・・(><)
オシエル内の時間的に言うと、1章の前ですね。
シャルルが、回想して喋っています。
なるほど、ふたりにはこんなエピソードがあったわけですね・・・
シャルル、はっきり言ってミシェルくんに負けてません(笑)

いつものごとくに、コジカちゃんの思慮深い洞察!
それを受け、立派に二人を仲直りさせてくださった、春様の鮮やかな手腕!
思わぬコラボレーションに、感嘆の吐息の嵐でございます・・・
素晴らしい夜を見せてくださったお二人に、ここに感謝を捧げます。
本当にありがとうございました!
















読んでくれてありがとう



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