2011/06/02

バスターミナル前交差点 4:46pm


さすがの優雅なパリの街も、夕方ともなれば相当な賑わいを見せている。


いろんな人にどっかん、ばっこんぶつかりながら、あたしがメトロの入り口に入ろうとした途端、突然交差点で、なんと信号無視した青い車と、帰り客をいっぱいにのせたバスが、斜めにそのボディー同士をハデにぶっつけたのよ!!
ぎゃっ、交通事故よっ、事故なのよ! おまわりさんはどこっ。
あっ、こんな場面めったにお目にかかれないわっ、スケッチスケッチ!
死人が出るようなひどいもんじゃなさそうだし、あたしひとりがスケッチしてたって、誰にもメーワクかかんないわよねっ。
騒然とする人ゴミから出たあたしは、コートからポケットサイズのスケッチブックを取りだすと、腰をすえて描くために、メトロの入り口の両脇に立つレンガ塀の上に、えいやっと飛びついて座った。
ほほー、よく見えるわっ。
あーあ、もったいないわね、あの車! 横っちょガリガリ! 
あはは、ノン ママン~って頭かかえてもだめよ、お兄ちゃん。おっ、運転手さんが出てきたわっ、怒ってる怒ってるぅ~、いけっ、やれっ、そこだ!
思わず拳を振り上げたとたん、膝にのっけてたスケッチブックが落ちちゃって、慌てて塀から下りて拾うためにしゃがみこんだら…あら、そばにカワイイ花柄のハンカチが落ちてる、もらっちゃおうかしらっ。
と欲を出してつまみ上げたら、…あらら、ずいぶん大きいわね、バンダナかしら…あらっ!? ひょっとしてカーテン!? そんなバカなっ。
そしてよくよく見ると、なんと持ち上げた花がらカーテンからスラリとした白い足がっ!!
ひえっっ!? し、死体っ。


「…う、…ウウ…ッ」


苦しげな声がして、慌てて白い足をたどって見るとそれは、大きなお腹を抱えた妊婦さんのワンピースだったのよぉ!
ちょうどあたしからは死角になるような感じで、塀によりかかってお腹をかばっていた年若そうな妊婦さんは、顔面蒼白、息は切れ切れっ、冷や汗びっしょり、おまけに足元もびっしょり!!
うわっ、大変よぉ! 
ああ、こんな時スーパー医者シャルルがいれば心強いのに!


「どうしたのっ!? お腹が痛いの? 苦しいのねっ!? 誰か! ちょっとあんたっ、救急車大至急1台出前よっ、急いでっ、早く! 産まれちゃうわよぉ!」


あたしはもう必死で、そばを歩いていたビジネスマンの携帯をひったくって、座りこむ妊婦さんとを交互に指した。
「救急車呼んで! 早くっ、出ちゃうわよあかちゃんがっ! 急げぇっ」
ようやく事態を把握したビジネスマンが、通報してくれたのを確認してから、あたしは妊婦さんの手をグワシっと握りしめた。
「大丈夫よっ、すぐに救急車が来るからね。それまで赤ちゃん出しちゃダメよっ、ふんばって耐えなさいねっ。あ、ふんばっちゃまずいわね、とにかくガマンすんのよ! 頑張って! ああ、あんた名前なんていうの? えーと、あたしはマリナ。マ、リ、ナよ。あんたは?」
うっすらとブラウンの目を開けて、苦しげにイレーヌと名乗ると、彼女はあたしの手に苦痛を逃がすようにぎゅっと握り返してきたの。
ぐわっ、イタタタタっ、この細腕でなんてすごい力なのぉぉ!
子供を産む痛みって、ハンパじゃないのねっ。うう、痛そうっ。
それでも顔では根性で笑って、あたしは彼女の名前を呼びながら、なんとか落ち付かせようと話し続けたの。
やがてイレーヌは、まだてんやわんややってる事故現場に向けて、細い指をすいと上げると、あどけなさの残る顔を悲しげに歪ませた。
えっ? なに、なんなの!?
その謎を確認する前に、キュキュッとタイヤを軋ませながら、お待ちかねの青ランプがやっと到着っ。
運び込まれたイレーヌを見送ろうと搬入口までついていくと、あたしはそのままドンと背中を押され、救急車の中へ転げこみっ!
な、なにすん―――ぎゃっ、走っちゃったわよぉ! 
降ろしてちょうだいっ、あたしはただの通りがかりよぉぉ!
あたしの絶叫もむなしく、疾走する救急車の後部では、サイレンに負けないほどのイレーヌの苦痛に満ちたうめき声が上がっていて、あたしは唇をかみしめた。


ううう~、―――ええいっ、もういいわっ。
この子が無事産まれるまで、つきあってやろうじゃないのっ。これも何かの縁よねっ。
それに後学のためにもなるかもしんないしっ―――なんちゃって、わっはっは。


その時シャルルの顔が浮かんだけど、あたしは気持ちを入れ替えて、苦しそうに毛布を握りしめるイレーヌの手をほどいて、またぎゅっと握りしめた。
すると切れ切れにもれるイレーヌの苦しげな言葉。
それを聞き取ろうと、とっさに救急隊員のおじさんが耳を寄せる。
「なんてこった。あの事故にあったバスに、ご主人が乗っておられたそうだ。迎えに出て目の前であれを目撃してしまった彼女は、そのショックで急に産気づいてしまったらしいな」
翻訳ピアスとあやしいヒヤリングで聞き取ったその内容に、あたしもショックを受けた。
さっきはそれが言いたかったんだ! 不安でしょうに、かわいそうだわっ。
そうだわ、よしっ! 
今すぐひきかえして、かたっぱしから乗客調べてきてあげようっ。無事がわかれば、イレーヌも安心してお産に集中出来るじゃないっ。
待っててねイレーヌ! さあっ、行くわよっ。
意気揚揚と扉を開けようとした手を慌てて止められて、あたしはなぜか、はがいじめにされてしまったのよっ、離せっ。
「やっぱり! 妙だと思っていたんだっ。その顔つきでピンときたぞっ、お前はこの間手配書のまわってきた精神科の脱走患者だな! この速度で走ってる車から降りようなんて、尋常じゃないっ。この車に乗せた私の判断は正しかった、わっはっは。
さあっ、もうすぐ病院につくからおとなしく座っているんだ!」
な、な、なんですってっ、言うに事欠いて脱走患者とはなによぉぉ、しかも精神科ですって!?
勘違いもはなはだしいわよっ、離せぇぇぇ!!


しかしさすがの海千山千のおじさん隊員に、あっという間にふんじばられてしまったあたしを乗せたまま、救急車はパリの街中をひたすら疾走し続けた。





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