2011/06/02

そしてついにアルディ邸・・・の玄関 10:05pm


「待て、マリナ!」


あたしはもつれる足を必死に動かして、背後に迫るシャルルの気配を、なんとかふり切ろうと走った。
だけど、シャルルとあたしのコンパスと運動神経の差を考えれば、出てくる答えはそう、1たす1より簡単よねっ。
あたしは思った通り、あっという間に、逃げこんだ部屋の隅に追いつめられてしまったの!
にじり寄った背中は壁っ、はっと前を向けば…とっても怖い顔をした、シャルル。
ううん、悲しそう?
肩でぜーぜー呼吸をしながらこくんと息を呑んで、あたしは半日ぶりに目にする、美貌の姿を見ていた。
憎たらしいことに、あれだけ走り回ったのに息も乱さず、淡く光を放つ白金髪を揺らしながら、シャルルはゆっくりとあたしに向って歩いて来たの。
あたしはいよいよ覚悟を決めて、お腹にぐっと力を入れて、そんなシャルルを迎え撃とうとした。
そ、そうよっ、なんであたしが逃げなきゃいけないのよねっ。
いい訳があるんなら聞かせてもらおうじゃないのっ!
…それに、これがシャルルとの最後の時間になるかもしれないんですもの…、日本に帰るにしても、心残りにならないように、それだけははっきりさせとかなきゃ、いけないわよね。
決心していたにもかかわらず、それは思った以上に重くあたしにのしかかり、胸に針でも刺されたかのような、突然の鋭い痛みにあたしは戸惑い、そしてなぜか……涙が出そうになってしまった。
唇を噛んで無理やりそれをこらえていると、シャルルはその時、あたしからふいと青灰の瞳をそらし、手を伸ばせば届くほどの距離で、なぜかぴたりと足を止めたの。
あたしが驚いてそれを見ていると、何を思ったか、そのままくるりと背を向けて、脱力したようにソファーに座りこんじゃったのよ!
そうして片手で顔を覆ってうなだれたまま、ピクリともしない。
ハラハラと音もなく、白金の髪がシャルルの伏せた横顔を覆っていくのを、あたしはア然と見つめるしかなかったの。
相変わらずシャルルのやることは、さっぱりわかんないっ。
あたしたちっていっつもこうなのよ。
やっぱり一生、すれ違うだけの運命なのかしら、うう。
こぼれたため息はシャルルには届かずに、まだ涙のあとの残るあたしの靴先に、落ちていったの。
―――。
―――…。
…それにしても動かないわね。
ど、どうしちゃったの、シャルルってば。
もしかしてっ、急に走ったりしたから、気持ち悪くなっちゃったのかしら!?
だから仕事ばっかしてないで、ちょっとは体を動かせって、アレほど言ったのにっ。
どうにも心配になって、そっとそばに寄ろうとしたその時―――信じられないくらい厳しい響きのつぶやきが、あたしの耳に飛びこんできたの。


「―――来ちゃいけない」


あたしは、その言葉のあまりの力に、その場に凍りついてしまった。


「今そばに来られたら、オレは君を、どうかしてしまう」


―――あたしは驚いた。
あのシャルルが、今まで見たこともないほど疲れきって、痛めつけられて、ひどく打ちのめされていたから。
普段の自信に満ちた、超然とした輝きはどこにもなくて、触れれば壊れてしまいそうな心を、必死におし留めている様が、落とした肩から伝わってきた。
それを見ているだけであたしはうろたえて、どうしていいかわからなくなってしまったの。
いったいどうしたっていうのよ、シャルル!?
何があんたをそんなに苦しめてるっていうの!?
ああ、だけど。
―――こんなシャルル、見たくないわ。
あたしに、その苦しみを拭うための手伝いが出来るんなら、どんなことでもしてあげたい!
でも、どんなにそう思っても、地下鉄で見たあのシーンが…、シャルルがバラの花束を持って、あの女の人に声をかけているシーンが、抜けないトゲみたいに、ちくちくとあたしを苦しめていたの!
もう言っちゃうけどっ、その時のあたしの胸の中には、シャルルの苦しみを思いやる気持ちより、もっともっとどろどろした、どうしようもほどの真っ黒な本音が、溢れかえっていたのよ!
あんな時間に、あんな所で、あんたは一体何をしていたの!?
仕事だって言ってたのに、嘘だったの!?
あれからあんたは、あの人と、どうしたの!?
どうしてなんにも喋ってくれないの!?
胸にあったはずのバラ色の気持ちは、そのトゲをむき出しにして、あたしを不安と嫉妬というみっともないイバラで、がんじがらめに縛りつけていた。


恋って、なんて辛いんだろう。


これを知らずにいたなら、どんなに楽だったんだろうと考えていると、今までのシャルルとの楽しかったいろいろな出来事が、目の裏に鮮やかによみがえってきた。
今朝なんか、日曜日でもないのにベッドでご飯を食べて、最後まであたしを離そうとしなかったシャルル。
別に誕生日くらいどうってことないのに、ちゃんとお休みを取れなかったことを、妙に気にしたりして、ふふ。
シャルルがどんなに忙しいか分かってるから、もうそれだけで充分すぎるほどの、ゼイタクな気持ちだったんだけどな。
夕方には必ず終わらせるから、出掛けようねって約束した時の、心に染みいるようなあの花の微笑みが、今も絵に描けるくらい、はっきり覚えてる。
あたしはあの微笑みをなくして、このまま生きていかなくちゃいけないの―――?
胸にぼっかりと穴が開いたように感じたあたしははっとして、自分にとって、どんなにシャルルが大切なのかを思い知らされ、愕然としてしまったの。


ねぇ、シャルル。


あたし―――やっぱイヤよ。
あんたの側を離れたくないっ。
みっともないって思われてもいいっ、やっぱりあんたの側にいたいの…!
あんたを失うかもって考えるだけで、こんなにも怖くなるなんて、思ってもみなかった!
目の前のうつむいた横顔は、白金のカーテンに覆われてしまっていて、シャルルはいつものようにひとり、自分の世界に沈んでいた。
あたしはそれが震えるほど淋しくて、こんなに近くにいるのに、遠くなってしまったシャルルが、欲しくてたまらなかったの。
―――諦めたくないっ。
そうよ、諦めてしまったらそれでおしまいだものっ、最後の最後まで、あんたのそばに張りついて離れるモンですか! 
あたしのねちっこさ、思い知らせてあげるわよっ、シャルル。
そこまで考えたら、もしかしてあたしの行き付く先は、流行りのストーカーなんじゃないかと、一瞬冷や汗が出たけど、あたしはかまわず息を大きく吸いこんで、心を落ち着けた。
その勢いで、うつむいたシャルルにぐいと顔を向け、絡みついているイバラをひきちぎるように、必死に声を張り上げたの。


「あたしは…シャルル、それでもかまわないわ。
今あんたのそばにいかなかったら、どっちにしろあたし、どうにかなってしまいそうだもの…!」


瞬間、目の前のシャルルの肩がビクリと震えたかと思うと、あたしはものすごい力を腕とウエストに感じた。
そして、星の瞬きのように散った白金の光が見えたと思ったら―――もう、あたしはシャルルの胸の中だったの。
それはもう抱擁というよりは、このまま抱きしめられたまま、潰されてしまうんじゃないかと、恐怖さえ感じてしまうほど強くきついもので、あたしはうっとりするどころか、目を白黒させて、酸素を求めてあえぐばっかりだった!
あたしの頭にまわされた、髪にからみつくシャルルの繊細な指、ウエストから背中にまで渡る、シャルルのしなやかな腕、首元に埋められたシャルルの切なげな熱い吐息……。
しばらくそうしていると、そのどれもが、細かく震えているのがわかったの。


「それでもかまわないと、―――言ったね、マリナ?」


ひき絞るような吐息混じりの声は、切なげにあたしの鼓膜を揺さぶり、言葉を紡ぐごとにきつくなるシャルルの抱きしめに、あたしは嬉しくて気が遠くなりそうだった。
今日一日、ずっと追いかけていたそのぬくもりを、今やっとつかむ事が出来たんですもの、もうそれ以上望むことなんてなんにもないっ。
シャルルの首元にぎゅっとしがみついて、あたしは久しぶりに感じるぬくもりに、うっとりと溺れていた。
だけどだんだん、触れているシャルルの体が、他の女の人の所にいたんだと思うと、ものすごくモヤモヤした灰色の気持ちが、喉元にこみあげてきてしまったのよ。
もうあたしは、シャルルの全部を一人占めできないのね……ああ、やっぱりシャルルもアルディの血なんだわっ。
あたしはぎゅっと目を閉じたまま、聞きたくもないのに聞こえてくる、アルディの家系のものすごさを思い出していたのっ!
だってジーサンが子供19人でしょ、シャルルのパパだって、恋人の数がブ厚いファイルになっちゃうくらいなんですもの~~~、シャルルだって…シャルルだってぇ……!
もともとが不釣り合いすぎるあたしたちだものね、シャルルはこんなに綺麗で魅力的なのに、あたしときたら、品も教養もないチビタマゴの大食いだし…くくく。
そうして頭の中で、地下鉄で見たあの8頭身美人と自分の横に、スケールをピッタリとくってけてみたら…あたしはそのあんまりにも凄惨な光景に、気を失うかと思ってしまったのっ!
ううっ、やっぱりあたしがここを出ていかなきゃいけないのかしら?
それともこのままで、だんだんシャルルは家にも寄りつかなくなって、外にはキレイな女の人をいっぱい囲って、週末ぐらいにしか帰って来なくなったりするのかしらっ!?
はっ!! 
どうされてもいいって言ったけど―――それってヒゲキだわ!! 
もろにレディコミ、昼メロっ、カオ○愛の劇場みたいじゃないっ。
野望うずまく大富豪の邸宅奥深く、深窓に閉じ込められ、親族のイビリにも耐えて、夫の帰りをひたすら待つ悲劇のヒロイン…!
うわ~うわ~っ、ドラマだわっ、ロマンだわっ! 
おお、なんだかいいプロットが出来そうな予感がするわっ、ふっふっふ!
―――ん? ちょっと待ってよ。
この場合、悲劇のヒロインって………あたしのことじゃないのっ!!??
閉じ込められて、イビリに耐えて、シャルルの帰りをひたすら待つ―――なんて、このあたしにできるのかしらっ!? 
しかも悲劇のヒロインっていったら、センが細くてか弱くてはかなげで、それでも芯は強くて、けなげで守ってあげたいわって、思わせるような女じゃないっ!?
あたしが深窓に閉じ込められるって…ううっ、どう見ても要注意人物の隔離ってイメージしか浮かばないっ!
な、慰めはいらないわよっ! 
悲しいかな、これでも自分のことは、自分がイチバンよくわかってるんだからっ、ふんっ!
でも、それってたとえて言ったら、自力で食べ物を探しにも行かずに、飢え死にするのを黙って待ってるってことも同然よね!? 
た、耐えられないわっ、信じられないわっ。
自分の命の責任くらい、あたしは自分で面倒みたいもの、やっぱり他人まかせにしちゃいけないわね!
そこまで考えてあたしははっとして、頭をふった。
ち、違うでしょっ、まったくっ! 
今考えなきゃいけないことは、シャルルをあたし以外の女の人と分け合ってまでも、愛せるかということなのよっ。
そうねぇ、もしレディコミに転身とかになったら、願ってもない実地取材のチャンスだから、考えないでもないけど…でもあたしが目指すのは、あくまで少女マンガの星よ!!
昼メロのノリじゃ、どうしたって展開がドロドロすぎるわっ。
あたしの描くやつはどうも重すぎるって、いっつもつっこまれてるっていうのに、これじゃますます救いようがなくなっちゃうっ。
最近気付いたんだけど、それって一番身近にいるリサーチ対象が、シャルルだからなのよっ!! 
テーマや描写がこ、濃くなっちゃうのは……あたしのせいじゃないわっ!
だいたいねぇ、少女マンガのリリカルでサワヤカな恋愛なんてーのからは、かけ離れてるのよ、こいつはっ!
あたしは今更ながら、シャルルの影響力の大きさを知って、苦笑いがこみあげてしまった。
今のあたしのほとんどの部分は、シャルルを中心にあって、笑ったり泣いたり怒ったり悩んだりすることも、みんなシャルルに繋がっていってる。
でもそれはちっともいやな感じじゃなくて、むしろ自分を預けられて、暖められて、優しい気持ちになれるものだったの。
あたしはひとりじゃなくて、想いを寄せる大事な人がいるんだって、それが生きてく上で大切な支えとなって、今のあたしをここに立たせてくれているの。
意地悪の代表みたいな性格も、物憂げで気難しくて皮肉げなとこも、不器用で繊細な優しさも、その全てがなんだか妙に懐かしくて、あたしはもっとシャルルを感じたくなった。
あたしは、首元にしがみついてた腕をほどいて、シャルルのウエストにそっとまわすと、それに答えるように、ただきついだけだった抱擁が、ふわりと優しいものに変わったの。


ああ、いつものシャルルだわ。


あたしはシャルルの香水の香りを胸一杯に吸いこんで、深いため息をついた。
その吐息と同時に、力の抜けたあたしの体の隅々に、シャルルの熱がじわりと伝わっていくのがわかって、あたしは自分の心の中を見つめ直したの。
シャルルを一人占めしたいって思う気持ちは、そんなにいけないことなのかしら。
だけどあたしは、シャルルの全部が欲しいって思ってる。
あたしの全部が繋がっているからこそ、シャルルからも、全部で想われたい!
もう理屈じゃなくて、そうでなきゃいやだって、心が叫んでる!
よしっ、あたしは愛を取り戻すために、たたかうわっ!
8頭身美女がなんぼのもんじゃい! 
かき分けっ、蹴散らしっ、あたしは再び、シャルルの微笑みを取り返してみせるんだからっ。
努力すれば、夢は叶うって信じてるものっ。
そう決めてぐぐっと拳を握りしめた時に、シャルルが、あたしを確かめるように顔の角度を変えながら、わななくように吐息をついて、かすれたような甘い声で囁いたの。


「マリナ―――もう、離しはしな…」


「ち、ちょっと待ってシャルル! 言い直してもいいかしらっ。
あたし、あんたのこと誰よりも大事だから、なるべくあんたのやること尊重してあげたいし、応援してあげたいわっ。
だけど、どうされてもいいって言ったけど…その…だ、誰かとあんたを分かち合うことだけは…やっぱり、どうしてもっ、い、イヤなのっ!
ここであんたを待つだけの奥さんも、気が向いた時だけ愛をかわす愛人さんも、絶対出来ないっ。
あんたの中の、大勢の女の人のうちのひとりになんか、なりたくないっ。
さっき逃げちゃったのは、あんたの口からその事実を聞くのが、怖かったからだわ。
もうあたしひとりを、愛してるわけじゃないって。
それでっ、……他の女の匂いのするあんたを、愛していけるほど―――あたし人間できてないのよっ!
でもね! あたしあんたのこと大好きだから、諦めないでまたあたしひとりを見てくれるように、しつこく努力はするつもりよ!
悪いけど、それくらいあんたのこと、す、好きなんだものっ。
わかってるわよ、こんな無謀なことってないものね。
たぶんあんただって迷惑するだろうし。
でも、行動しなきゃっ、可能性は生まれないのよっ! 
宝くじだって、そもそも買わなきゃ当んないのよ! 
原稿ボツくらっても、描き続けなきゃ、1流マンガ家にはなれないのよっ。
やるとなったらあたしはしつこいわよっ、石にかじりついてだって、やってやるんだからっ。
あっ、やっぱり困ってるわね、呆れてるわねっ、その無言はっ。
でもでもシャルル、あたしはね…!」


「―――いい加減、君の言動にも慣れたと思っていたけど…やはりオレたちの間には、相互理解などありえないのかもしれないな」






――――――は…?






拍手いただけるとガンバレます( ´∀`)


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