2011/06/02

ヴァル・ド・グラース病院 5:41pm

「ちょっといいか。東棟4階にある研究室BのロッカーG3に保管してある、2-TIと7-WOの装備をオペ室に運んでおいてくれ。間違えるなよ、覚えたか」


先に降車したオレは、廊下を歩く研修医らしき黒髪の若い男をつかまえて、早口で指示を出した。
この間完成させた新しい釘(てい)を、この病院の研究室に保管しておいたのだ。
骨折にはプレートやロッド、ワイヤーといった金属で骨を固定させるのだが、ケースにもよるが、数年後には再びそれを外科的に取り除かねばならない。
患者の負担にもなるので、それを軽減させる為に、オレは骨に同化出来る新しい素材を開発し、今回初めてそれの使用にふみきった。
動物実験では95%以上の効果を上げているから、大丈夫だろう。
ちゃんとジベールの許可も取ってあるぞ、……鎮静剤で混沌としてはいたがな。
そして、ストレッチャーで運ばれるジベールを振り返った時、彼は振動に悲鳴を上げながらも、壁に打ちつけてある、病院職員の名前の記載してあるプレートを、凝視していた。
心なしかストレッチャーの枠をつかむ手が、震えている。
「どうした?」
「こ、この病院はいやだ!! 引きかえしてくれっ、ここに来るくらいならし、死んだ方がマシだっ!」
突然取り乱したように彼は暴れだし、救急出口は騒然とした。慌てた救急隊員は、腕を振り回すジベールを抑えようとしたが逆に殴られ、床に尻もちをつく羽目になった。
オレはそれを避けながら、プレートと彼を見合わせ、冷静に言った。
「誰か気になる人物でもいたのか?」
「あ、ああ、ああ! いるもいないもっ、オレを珍獣扱いしたあの校医がな! 外科にいやがる! やだぞ、オレは絶対ここには入らん!」
―――なんてこった、最悪だ。
この男のトラウマは重症だ、こんな言葉で引き下がるとは思えないが…。
「執刀はオレがするんだ、心配…」
「嫌だ!! またここでもヘンな目で見られちまうっ」
全く今日はなんて日だ。
しかし、これほど深刻なトラウマを作ったその医者も、オレのリストに載るのはまず間違いないが、先天的な症状を抱える被病者にとって、健常者との違いは非常に大きなコンプレックスとなる。
当時子供とはいえ、その心の負担も考えず、無神経に症状を公にするとは…そういう者が、同じフィールドにいるというのは、全く持って遺憾だ。
場合によっては現状を調査し、査問委員に告発することも考えよう。
オレは、行っていいものか逡巡していた研修医を呼び止め、装備をここに持ってくるように言い直し、新しい受け入れ先を探すように、救急隊員に向き直った。
「い、いいのか?」
恐る恐る聞いてきたジベールが癪に触ったが、これ以上ここにいて、無駄な問答をするつもりもない。
「他に方法があるんなら教えて欲しいものだが?」
「い、いや、すごい怖い顔してるから…つい。
あんた若くてそんなにキレイな顔してるのに、話しがわかるよな。さっきは悪かったよ」
「いや、……それより、良い名前は思いついたのか?」
その言葉に興奮したように喋りだしたジベールを見て、オレは不思議な気分に襲われた。


自分の血を受け継ぐ子供、あのマリナとの子供…アルディの新しい系譜。


想像すら、わかない。
だがこの男の明るい表情はどうだ、…それは、それほど素晴らしい世界なのだろうか。


再び車に乗りこみながら、ジベールの目に映る世界のことを考ていたが―――それは、マリナの笑顔の向こう側にあり、今のオレには見ることは叶わなかった。





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