2011/06/02

オートエコール 4:08pm

自分の行動がままならないことは、オレにとって苦痛以外のなにものでもない。
見えざる手の遊戯に、身を任せてそれを享受するという考えも、オレの内では存在しない。


だが、大切な者を得た今、痛感する。
己の身勝手さ、無力さを。








「―――以上だ。今日はもう終日予定が入っている、もし連絡があるのならいつものようにしてくれ、後日改める」
よりによってこんな日に火急の用が入るとは。
やりきれない気持ちで苛つく思いを抑えながらの業務は、いつにも増して周囲と歩調が合わなくなり、それが更に己の苛立ちを煽っていた。
内線を放るように置いて、脱ぎ捨てた白衣を椅子の背に投げ、オレはジャケットを着るのももどかしく、ドアへと向かった。セキュリティーを確かめ、部屋を出る。
その時ドア脇に設置されたチェッカーに、視線が止まった。
以前マリナをここへ案内した時に、非常時用にとここの仕組みとパスワードを教えようとしたのだが、これが犬にでも仕込んだ方がまだましだと思えるほどに、何度やっても覚えなかった。
とうとう我慢がならなかったオレは、最終手段として、マリナだけには特例として、面倒な手続きは全てパス出来る方法を取らざるを得ず、非常に不愉快な思いをしたものだ。
まあ、こんな場所で日本の少女マンガの題名をパスワードにするなど、誰も想像はつくまい。
設定時に、気に入っている作品名を教えてもらったのだが―――


『イケてる彼氏に☆らぶパンチどらんかー!』


―――というのだから、オレは日本の少女マンガというものが、非常に理解し難かった。
…いや、それは語弊があるか。
マリナのマンガの好みというものが、理解し難いと言うべきだ。
題名から察するに、いかがわしいことこの上ないものが容易に想像出来、かなり苦い表情が出てしまったオレに、彼女はえらい剣幕で抗議をしていたっけ。
しかしこれでもまだ忘れるようなら、今度アルツハイマーの新薬の実験台にでも、なってもらおう。
文句はないだろ、マリナちゃん?


「所長、もうお帰りですか」
思い描いていたマリナのふくれ顔に、危うく緩みそうになった頬を再び緊張させ振り返ると、白髪混じりの新着研究者、アルノー・モンロンだった。
「すみません、今一般エレベーターがメンテナンス中で使用できないので、業務用の方を使っていただけませんでしょうか」
「ああ、わかった」
他の研究所から引き抜きで来た人間だが、もうここに慣れたようだ。
オレの父親ほどの年だろうが、それにしては柔軟な思考の持ち主であることに、オレは満足していた。
科学者のくせに、自分より若造の下につくことを受け入れられない人間は、今だに多い。
この世界に年功序列は通用しないとわかっているのだろうが、そういう固定観念に懲り固まった連中につき合うのは、全くもって煩わしい。
最も、そういった視線に晒されることも、もういい加減慣れてしまってはいるが。


彼と研究中のプロジェクトのことについて話し合いながら、業務用のエレベーターのある裏手にまわり、オレは裏門の方へと出た。
待たせてあった車に乗りこむと、心はすでに今夜のことに飛んでいた。


オレの帰りを待っているだろうマリナのことを思うと、いてもたってもいられなく、さまよわせる視線の先に流れる景色など、もはや映ってはいなかった。





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