2011/06/02

ロビー 5:35pm


なんじゃっ、このっ、くぬ~~~!!
…はぁ。


―――実はあたしは、まだロビーの所に、いた。


イレーヌのだんなさんを探すどころか、自分のこれからの顛末にさえ、困っているありさまだったのよ!
それというのも、この腕の戒めはなかなかガンコで、どんなに格闘してもビクともしやしないっ。
とってもじゃないけど、あたしの手に負えるようなシロモンじゃなかったのよっ。
しかもアカラサマに怪しい行動のあたしを、みーんな遠巻きにしちゃって、ダレも手を貸してくんないっ! 
くそぉぉ、冷たすぎるわよあんたたちっ、さすが面倒はゴメンよのフランス人!!
ちくしょーダレかっ、ダレかいないのっ、親切なお人よしの情に熱いステキな人間はっ。
ごったがえす人の中に、助けを求めるように視線を上げたとたん、なんとっ、なんとそこに一瞬飛びこんできたアーモンド色!
ああっ、あれは!?


「カーク! カークじゃないの!? 
ボロ車を乗りまわすクォーターインディアンの貧乏刑事、カーク・フランシス・ルーカス! 
お人よしで黄色いカーテンで、石のベッドで寝てるカーク! 
純情なくせに仕事のためなら、女の子と平気でキス出来ちゃうカーク! 
自分だと思い当るんなら、早くここに来…!」


叫び続けるあたしの口に、瞬間大きな手がガバッとかぶさり、はっと目を上げると、そこには浅黒い肌の強い眼光の持ち主、カーク・フランシス・ルーカスが、真っ青な顔をして、あたしに覆い被さっていたっ。
きゃ~~、カークっ、久しぶりねっ。
地獄で仏、ピンチにカークっ!
ほっとしたのもつかの間、なぜかそのまま横抱きに抱えられ、あたしは誘拐犯人に連れ去られるように、ヒョウもビックリの俊敏さで、あっという間に、廊下の隅の倉庫にむぎゅっと押しこまれてしまったの!
なんでぇっ!?


「―――ッ、マリナ!! 
久しぶりの再会のあいさつがそれだなんて、あんまりじゃないかっ!! 
あんなとこで何を言い出すんだお前は! もう弁解の余地もないぞっ、見たか周りの視線を! 
ああ、なんてこった、絶対誤解されたぞっ。
こらマリナっ、なんとか言えよ!」


相変わらずのサラサラの長い髪を振り乱して、カークはぐいっとあたしに詰めよった。
なんとかって、あたしの口をふたしてるのはあんたの手でしょうがっ。
こっちは非常事態なのよっ。
だいたいなによあれくらいでっ、本当のことしか言ってないじゃないねぇ。
あら? それに日本語よ、あたしが言ったの。ダレもわかっちゃいないわよ、ドジねぇカークったら。そんなこともわかんないわけ?
パニックに陥ってしまってるカークは、それにも気付かないらしく、それどころかあたしのウエストをますます強く引き寄せて、ぐいと顔を近づける始末っ。
久しぶりのたくましい厚い胸の感触に、あたしは驚き桃の木サンショの木っ!! 
もひとつついでにド~キド木!
ひえっ、離してちょーだいっ! …と言おうにも腕は縛られたまんま、口は塞がれたまんま、これって非常にアブナイわよぉぉ!
なんだかあたしまでパニックになりそうだったんで、その前にこの状況を脱する手を、あたしはなんとか探した。
ええいっ、もうこれしかないっ。
あたしはやむを得ず、塞がれた口を頑張って少し開けると、がっしりとしたカークの大きな手のひらを、ベロ~ンと舐めてやったのっ。
し、しょーがないじゃないっ、…いえ、決してこんがり色のカークが、美味しそうだったからじゃないわよ、…決して。
「うわっ!」
瞬間カークは叫んで手を振りほどくと、なんとあたしを突き飛ばしやがったのよっ!
「いった~、何すんのよあんたっ。頭ぶっつけちゃったじゃないっ」
「な、何すんのはオレのセリフだっ! どういうつもりだマリナっ、ちゃんと釈明しない限り、ここから出さないぞっ」
叫んでるうちから、もうみるみるイタリアのトマトみたいに真っ赤になったカークは、あたしの舐めた手を色の抜けたジーンズで、ごしごしとやっていた。
ま、失礼ね、バイキンなんか持ってないわよ。
「説明するから、とにかくこのロープほどいてちょうだいよっ」
「い、や、だ、ねっ。ほどいた途端逃げられそうだ。
マリナの意地汚い口は相変わらずみたいだから、まず説明をしろっ!」
「い、急いでるのよっ。じゃなきゃまた大声出しちゃうわよっ。
どう見てもアヤシイわよね~、こんな密室でたくましいあんたとふたりっきり、おまけにあたしは縛られちゃってる…あんたの名誉にかかわるどころか、これじゃ職場の隣の留置所に、お世話になることになるわよぉ」
ふっふっふ、さあさあ、どうすんのっ。
あたしがずいっとにじり寄ると、カークは真っ赤な顔でぐっとつまって、ちょっと下を向いて屈辱に耐えるように拳で唇を覆って、しばらく立ち尽くしていたの。
するといきなりばっと顔をあげて、あたしの両脇に長い腕をバッシャンとつき、砂漠の太陽みたいにぎらつく瞳を、ぐいと近づけた!


「ああそう、マリナがそういうつもりならオレにも考えがあるぜ。
何もしないでブタ箱行きじゃ損だからね、毒を食らわば皿までだ。
……オレを昔のままだと思ったら、大ヤケドするよ、マリナ?」


そのあんまりの豹変ぶりに、あたしは全身の血が一気に逆流したように、目の前のカークがとても怖くなってしまったのっ。
「そ、そんな怖いの、あんたらしくないっ、カーク!」
叫んだ直後、目を閉じたままのあたしの前に、一筋の風が吹きぬけた。
こわごわ目を開けると、息のかかるほど間近にいたはずのカークは、部屋の隅にあった水道を全開にして、なんとそこに頭を突っ込んでいたの。
「カーク」
「…ごめん、ふざけすぎた」
流れ出る水の合間からそうつぶやいて、カークはしばらくそうしてから、ようやく水を止めて顔を上げた。
滴る透明なしずくを両手でかきあげて、そうしてたたずむ彼は、ドキリとするくらい綺麗で、あたしはしばし、そんなカークにみとれてしまった。
うーん、カークったら前より色っぽくなっちゃった!?
あたしはこのドキドキが妙に後ろめたくて、あわてて隠しながら、カークにハンカチを差し出したの。
「ううん、あたしこそムチャクチャ言ってごめんなさい。
あんたが混乱するのも無理ないわよね。ちょっと緊急事態で慌てちゃって」
「それってどういうことだい、まさかシャルルになにかあったのか!?」
途端に刑事の顔になったカークは、ぴりと神経を張りつめるみたいに、あたしを振りかえった。
そこにシャルルの名前が出てきて、あたしは急にほっとして、やっと落ちついて話すことができたの。
カークのあったかい心が今でも変わらず、シャルルのことを思ってくれていることに、改めて感謝しながら。
「―――だから今イレーヌはひとりで頑張ってるのよ。
お産はどうしたって手伝えないけど、あたし、彼女をなんとか応援してあげたいの!」
「…うん、わかった。そのジベール・ベルティーノという男性を探せばいいんだね。
オケ、そういうことなら喜んで協力するよ。
ちょうどその事故のことで、オレもここに来てたんだから」
「そういやあんた、なんでこんなとこにいるの? 刑事課だったわよね。まさか事件なの、あの事故はっ!?」
あたしがそういうとかぶりを振ってから、カークは急にしゅんとして、そのたくましい肩をちょっと落としたの。
「前のヤマの時、その、ちょっとやりすぎて…備品のジープ1台オシャカにしちゃったんだ。
だから、交通課に出稼ぎにだされてるの、オレ」
その様子があんまりにもかわいくて、あたしはもう黙ってられなくて、大爆笑しちゃったのよ!!
カークったらホントに相変わらずねぇ、熱中するとどんな無茶だってやっちゃうんだもの。
怒られたんでしょうねぇ、トーマスに、あーオカシイっ。
「そんなに笑うことないだろ」
ホっペを染めてむくれたカークは、それでもてきぱきと、あたしの腕に巻かれたロープをほどいてくれた。
「よし、行こう。子供は未来の宝だもんな、大事にしてやりたいよ。幸い死人は出てないし、大丈夫さ、すぐ見つかると思う。
その手助けに少しでもなれるんなら、こんな嬉しいことってないよな。
オレはいつもそう思って、この仕事をしてる。
悲しむ人が一人でも少なくなるように、喜ぶ人の笑顔が、一人でも増えるように」
そう言って強い意志を宿しながら、ぐいと上を向いたカークの黒い瞳は、キラキラとまぶしいくらい輝いていたの。
ああやっぱり自分の信念のために、情熱をかけて仕事をする男の人はカッコいいと、あたしは胸が熱くなった。
「やっぱり仕事に打ちこむあんたは素敵ね、カーク」
あたしの言葉に、瞬間息をのんでぐっと瞳を閉じると、カークはそのまま黙ってしまった。
あ、あたしなんか変なこと言ったかしらっ!? 
ひょっとして、誉め言葉に落ちこむ体質になってしまったの、カーク!
あせって下からその精悍な顔を覗きこもうとしたら、カークは何事もなかったようにすぐ顔を上げると、とびきり極上の笑顔をあたしにくれたの。
その笑顔にあたしもにんまりと答えて、あたしたちは飛び出すようにその倉庫を出た。
すると、ふとカークがあたしの顔をじっと覗き込んできたの。
「そういやマリナ、ホットドックでも食べた? 口、なんかついてるぜ」
「はあ!? 何言ってんのよっ。こ、これは口紅よっ! あたしがつけてちゃいけないわけっ」
「ええっ!? あれ、格好もなんだかいつもと違うし…ごめん、オレそういうのうとくて」
そ、そりゃあんたは一年中ブラウスとジーンズでオッケーの人間だものねっ。
…ま、あたしもシャルルさえいなきゃ、変わんないだろうけど。
まだ濡れた髪をかきあげながら、カークは小さく微笑んで、テレ隠しにむくれたあたしに視線を向けた。
「へえ…シャルルとデートなんだ? あのマリナがこうまで変わるなんて、驚きだ」
「ふんっ、あ、あたしだって好きでしてるんじゃないわよっ。
し、シャルルがうるさいから仕方なくよ! 
ホントにめんどくさいんだけど、あいつったらうるさいんだものっ、しょうがないじゃない!? 
あんたも知ってるでしょカーク!」
「わかったわかった、仕方なくね。そうするとシャルルが喜んでくれるから、だろ。
相変わらず素直じゃないね、マリナ、シャルルも苦労してるだろうに」
「う、うるさいわよカーク! あんただって相変わらずじゃないっ。
今だにあんなことで水かぶってるようじゃ、彼女なんか出来ないわよっ」
「い、言うなよマリナっ! …思い出しちゃったじゃないかっ」
「ダメ! 冷水シャワーはなしよっ、急いでるんだからっ」
「またにわかパートナーだな。でも、その意地汚い口だけは閉じててくれよ」


あたしたちは笑いながら、あのかつての懐かしい感覚を胸に抱いて、ごったがえす人並みの間をぬっていった。





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