2011/06/02

手術室前 7:57pm


あたしは、カークが買ってきてくれたパンとミルクにぱくつきながら、待合室のソファーを陣取っていた。


あの後すぐに仕事に戻るというカークに、あたしは再び感謝を告げて、ついでに、これからはお誕生日会は盛大にやりましょうねと、しっかり約束してあたしたちはお別れした。
ああ、なんだかむしょうにシャルルに会いたくなっちゃった。
ずっと開かない自動ドアを見つめながら、あたしは膝を抱えてぼおっとしていた。
どうしてるかしら、怒ってる? 心配してる? 
仕方なかったとはいえ、……待ち合わせ、すっぽかしちゃったわ。
連絡くらい入れなきゃ、悪いわね。
やっぱ携帯電話とか持たなきゃだめかしら。最近やかましいのよね、シャルルったらさ!
でも―――我ながら、変わったと思うわ、あたし。
前だったらこんな時、どうやって謝ろうかとか怒られるかもしれないとか、全部自分中心で物事を考えていたもの。
今はシャルルに不安な思いをさせたくないから、心配かけたくないからっていう気持ちの方が先に溢れてくる。


すごいわよね、恋って。


シャルルの優しげな微笑みが見えた気がして、あたしは心があったかくなり、ひとりにやにや笑ってしまった。
そして、電話をかけようとソファーを立ったその時、もう一度手術室のグリーンの自動ドアをふりかえると、何かを大事そうに抱えたさっきの看護婦さんが、晴々した笑顔で出てきたのよ!!
あ、あ、あ~~~!!


「ほら、産まれたわよっ、元気な女の子! 五体満足、小さいけど立派なもんよ」


うわーうわー!! やったわ、イレーヌ!
あたしは飛び上がってその子に駆け寄った。
真っ白な布にミノムシみたいにぐるぐるに包まれたその子は、ホントにびっくりするくらいしわくちゃで小さかったけど、ちゃんと呼吸をし、ちゃんと動いていたのっ!!
「ほれっ、あんたをずっと待ってたのよ、元気に泣きなさいなっ」
看護婦さんはいきなりベシベシその子のお尻を叩きだして、あたしはぎょっとしてしまったけど、やがてかすれるように声を上げて、新しい命は目の前で確かに輝きだしたの!
「彼女がね、あなたにありがとうって。
ご主人ともちゃんと会えて、無事にこの子を産めたのも、あなたが励ましてくれたからだって言ってたわよ」
その言葉にあたしはびっくりしてしまった。
「そんなことないわっ、あたしはなんにもしてないもの。
全ては頑張ったイレーヌの力よ! あたしこそお礼を言いたいくらいだわっ。
イレーヌぅ、おめでとうっ、やったわねぇー!」


はじめまして、イレーヌの赤ちゃん。
あんたもよく頑張ったわね、これからよろしくね。
あら、あんたあたしとおんなじ誕生日なのね、仲良くしましょ。
いっぱいご飯食べて、おっきくなるのよ、ふふ。


ほえほえと泣くその様は頼りなげだけど、こうしてみんな生まれ出て、ひとりで歩きだすんだものね。
笑って泣いて怒って、そして愛する多くの人を得て、生きていくんだわ。
すごいわ、人間って。
ああ、これでやっとすっきりしたっ!!
あたしは、嬉しくてこぼれそうになった涙をすすろうと、上を向いた。
とたんに飛びこんできた、壁掛け時計の針の位置っ!
ぎゃっ、は、8時すぎてる~~~!!
「あら、もう行くの?」
あたしは大きくうなづいて、赤ちゃんを抱いたままの看護婦さんに、感謝の気持ちをこめてぎゅっと抱きしめた。彼女デカすぎて、半分くらいしか腕がまわんなかったけど。
そうして最高の笑顔に見送られながら、あたしはバックをひっつかんで、エレベーターに飛び乗ったの。






ロビーに降りると、なんとそこにはまだ何人かの警官達がウロウロしてて、あたしはビックリしてしまった。
こんな時間なのに、ごくろうさまよね~。
あれ、カークだっ。
「カーク、カーク! 無事産まれたわよっ、女の子!」
廊下のずっと先でアーモンド色の髪を揺らせて、それに答えるように、カークは大きく手を振ってくれた。
腕に何冊も調書らしきものを抱え、隣にいるあのアホ警官ダニエルと話しこみながら、こっちに来てくれようとしていたの。
「カークっ、あんまり仕事ばっかしてないで、デートにでも行きなさいよっ」
あたしはものすごい機嫌が良かったから、バックに入っていたチョコレートバーを、フンパツして彼に向かって投げたの。
それをしなやかな長い片腕で鮮やかに受け取りながら、カークは廊下の端からお礼を言ってくれた。
そしてホント~は惜しかったけど、今日はめでたい日だし、隣にいるダニエルにもサービスしてやったわっ。このあたしがよっ、偉いでしょっ。
でもさっきの無礼のお返しにと、顔面めがけて投げてやったら、慌てて持ってた書類全部落としてたわ。
いひひ。
「マリナ、送ってやるよ!」
「いいわよっ、地下鉄の方が早いわっ」
危ないだろと引き止めるカークの声を背中に、あたしは濃い夜の中に飛び出した。






正門をくぐって、落ち葉を踏みながら急旋回した途端にっ、ぬっと目の前に出てきたデブのおまわりさんと、またもや正面衝突して、あたしはボエンっと跳ね飛ばされてしまったのよ!
いった~っ。
ちょっとっ、これ以上あたしの鼻が低くなったら、どうしてくれんのよっ。
ぐいと睨んだその視線の先に、闇夜でも見慣れた高級コート!
「あっ、これっ、シャルルのじゃないっ!? なんであんたが持ってるのっ」
ビア樽みたいな腕に抱えられたコートに、あたしは叫んで飛びつくと、おまわりさんは胡散臭そうにあたしを見てたけど、やがてそれをあたしにぐいと押しつけてきた。
なにこれっ、妙にキレイに折りたたまれてるわっ。
このデブがやったわけ…? 
「あんたの知り合いのかっ。フンっ、持ってってくれっ! 
このコート一枚のおかげで、俺ぁ今日は散々だっ! 早く消えてくれっ」
その剣幕にあたしはビビッて、いわくのコートを持ったまま、わけも聞けずにその場を逃げ出してしまったのよっ。
走る内、そのコートから微かにシャルルの香水の香りがして、あたしは思わずにやけて、それを強く抱きしめてしまった、うふふっ。
シャルルには内緒よっ、恥かしいからね!


そして、大好きなシャルルの待つアルディの屋敷目指して、あたしは一目散に走った。
バラ色の気持ちを、胸いっぱいに抱えて。





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