2011/06/02

・・・et 3


きっと睨んだままあたしが拳を握りしめていると、シャルルは激情の影の残る瞳を薄く閉じ、無言のまますっと体をひいて、ベッドを下りたのっ。


全身の力がドッと抜け、ほっと胸をなでおろしたあたしをおいて、ドア脇のマホガニーのコンソールへと歩み寄ると、何かを手に、またあたしの元に戻ってきた。
いぶかしげにその手元を見ると…ああ!!
「それ、あたしのバック! 地下鉄でなくしちゃったのに、なんであんたが持ってるのよっ!」
でも叫んでから、あたしはしまったと、内心冷や汗をかいちゃったのよ。
プレゼントされておきながらなくしただなんて、失礼センバンよねっ、あたしだったら怒りくるってるとこよっ。
そんなあたしを見下ろしていたシャルルは、感情を閉じ込めるようにふっとうつむくと、ゆっくりとベッドの淵に腰かけて、バックをそっとあたしの膝に置いた。


「―――そそっかしい誰かさんの落とし物をね、君の気にしていたあの女性が持っていたんだよ。
マリナが見たというのは、バッグを返してもらえるように、交渉していたところ。
仲良さそうに話しこんでいたとは、心外だけどね」


ため息混じりに皮肉げにそう言ったシャルルは、ゆっくりとあたしに向き直りながら、けだるそうに髪をかきあげた。
そしてあたしは、………あたしはぁぁぁぁ!!
「あ、あの、その…、え? 
あのひととあんたは、なんにも、関係ない、の? 
あ! でもあのひとっ、あんたに寄りかかってたわっ。こう、うっとりした目で! おまけにあんたは、バラの花束なんてかかえちゃって、なんだかいいムードで……!」
あたしがうろたえて視線を泳がせていると、シャルルはそれを促すように、すいと指を上げて、マントルピースの上にある花瓶をさしたの。
目線を向けた先には、…ああっ! 忘れもしない、淡いピンクの大群!
「あれはわけあって、ある人物から押し付けられたものだ。
それに、あの女のなりを見れば、一目でカタギじゃないことぐらいわかるだろう? なんでオレがあんなのといいムードなんだ、このド近眼は更に乱視が進んだのか?」
そういや…スリットの入った銀ラメのミニスカに、バニーちゃんみたいな網タイツ、真っ赤っかのファーのついたテカテカのコート…ううん、紳士然としたノーブルなシャルルとは、確かにどっから見ても、つり合わないわ、ね…。
だんだん小さくなってくあたしの頭の上から、いつものシャルルの声が、降ってくる。
「ドジマリナ、君は置き引きにあったんだ。
オレはてっきり、君の身になにかあったのかと思って…余計な労力を使っちまった、まったく」
「な、―――なんで、誤解だってっ…早く、言ってくれなかったのよっ!?」
「論より証拠という言葉を知らないか? 
言うより先に、このバッグを見せた方が早いと思って、取りに行こうとしたら、逃げるだのなんの言われる始末だ」
…う。
「だいたいあんな状態で言って、ああそうなのと信じるのか、君は」
ううっ。
「それに、人の意見を聞きもせずに、勝手に結論づけていたのは、マリナの方じゃないか!?」
ううう~~っ。
「で、でもっ、言ってくれれば少しは…!
さっきだってあんた、またひとりで閉じこもったみたいになってたし、来るななんて言うし…!」
瞬間、シャルルは冷ややかだった表情を脱ぎ捨て、震えるようにあたしに振りかえると、片手をあたしの脇について、ぐいと上半身をのりだした。
きつく眉根を寄せて、狂おしい想いが溢れる青灰の瞳を歪ませ、あたしの心に切りこむように、その全てをぶつけるみたいに苦しげに、口を開いた。
「自制する時間くらいくれてもいいだろう!? 
いつまでたっても見つからない君の身を案じて、気が狂いそうだったっていうのに…!
マリナの姿をこの目にした時、オレがどんな気持ちだったか、わかるか!?
逃げる君の背中が、どれだけ遠かったかわかるか!?
……じゃなにかい、オレは感情の赴くままに、君に想いを伝えてもいいと!? 
この気持ちの全てを、君に注いでもいいと…!? 
―――そりゃ結構だ、マリナが許してくれるのなら、話は早い。
そうしたら、オレは片時も君を離さないぞ。縛りつけてでも傍らに置いて、数秒たりともオレから目を反らさないようにしてやる。
それこそ、オレの体が君の体と錯覚するほどに、この胸に抱きしめて、永遠に愛を囁いてやる…!


いいんだろう、え? マリナちゃん」


ぐいと迫り来た、熱をはらむ青灰の瞳の魅力に、あたしはうっとなって、思わず顔をそむけてしまった。
そ、そんなの困るわっ、トイレやお風呂はどうするのっ、おならやゲップやくしゃみはどうするのよぉぉ!
そしてふいに訪れた静寂に、あたしは今までのことを整理すべく、告げられた真実を、頭の中でゆっくり反芻した―――。




―――って、ことは、全部、あたしの…勘違い…だったって、わけなのね!!!




あたしは…もうもうっ、恥かしさのあまり、もうちょっとであの冬眠カプセルを貸してっと、シャルルに詰め寄るところだったっ!! 
ほっぺと言わず、顔中がとんでもなく火照ってるのがわかったあたしは、ぎゅっと目をつぶって唇を噛み、ベッドの片隅で頭をかかえ込んで、ダンゴ虫みたいに縮こまったっ。
ひぇぇぇぇっ、あたしシャルルに何言ったかしら!?
あ、愛人さんだの浮気だのっ、他の女の人の匂いがするだの~、…ああっ、もうは、恥かしいっ!!


「―――マリナ」
「み、見ないで、シャルル…」
「マリナ」
「見ないでっ」
「マリナ…」
「見……っ、うう…シャルル、その…ごめ…」


その時、大きな片手が、そっとあたしの肩を引き寄せた。
あたしはそのまま、シャルルの広い胸にこつんとおでこをくっつけて、あたしたちはしばらくそうしてじっと向い合っていたの。
シャルルはただ胸だけを貸してくれて、ずっと黙っていた。
ただそれだけなんだけど、それは切なくなるくらい優しくて、思いやりに溢れていて、ひとりで空回りしてた冷えた心を、シャルルが無条件で迎え入れてくれて、許してくれたんだってことがわかったあたしは、無償に自分が情けなくなってしまったの。
一瞬でもあたしは、シャルルを疑って、ひとりで勝手に終りを決めて、逃げようとしていたんだもの、こんな裏切りってないわよね。
あたしが珍しくどーんと落ちこんでいると、やがてそれに追い討ちをかけるように、からかうような残酷な声が、耳のすぐ側で響いた。
「―――ねぇ、オレの中の大勢の女って初耳だけど、どれくらいいるんだい?」
げっ。
「それで、他の女の匂いとやらはするかい…? 玄関を入ったとたんに夕食のメニューを当てる君なら、それくらいすぐわかるだろ」
喉の奥でくくっと低く笑いながら、シャルルはそうしてあたしを、チクチクいたぶり続けたのっ。
くく~っ、この意地ワル男! そりゃあたしが悪かったわよっ、だけどこうして反省してるんだから、むしかえすようなことわざわざ言うなっ。
耐え切れず顔を上げた拍子に、くいと顎を持ち上げられ、驚いて目を見張るとすぐ前に、ゆらりと燃え立つ小さな炎を宿したような、深い青灰の瞳があったの。


「…この目は、どうだい? 
たったひとりの女性を、愚かにも追い続けている男の目には見えないか…?」


ふいに、唇が触れるほどの距離で囁かれたそれは、もはや言葉なんかじゃなくて、きっとシャルルが内緒で作った、新種のシビレ薬かなにかが混じっているんだと気付いた時にはすでに手遅れで、あたしはあっという間にその力に飲みこまれて、まばたきひとつも出来なくなってしまったのっ。
かかる吐息の熱さは、シャルルの想いの切なさと、あたしへの苛立ちと愛しさが入り混じり、あたしをどんどん追いつめていく。
ちょ、ちょっと待ってよ、シャルル…あ、あんまり近寄らないでちょーだいっ。なんか怖いわよ、あんたっ。
じりじりと後退したあたしの腕をつかみ上げて、シャルルは更に低く囁く―――!
「ねぇ、マリナ…? 
可愛いやきもちをやかれて浮かれるほど、オレは単純じゃないぜ。君の口からそんな言葉が出るなんて、許せないね―――。
一体誰が、もう君ひとりを愛しているわけじゃないなんて、言った?」
その瞬間っ、あたしの体は少し乱暴に、シルクのシーツの上に押し倒されてしまったのよっ。
両手首はシャルルの大きな手に痛いくらいに捕われて、覆い被さった厚い胸に、全ての動きを奪われて、あたしはもうかわいそうなイケニエ状態!!
天蓋の影の中でも、シャルルの瞳は凍ついた星のように輝きを増し、その光の全ては、突き刺さるようにあたしへと降り注ぐ!
やがて―――揺れる白金の髪の隙間から、酷薄そうな薄い唇が、まるで判決を下すみたいに、あたしの目の前でゆっくりと動いたのっ。


「マリナはよくオレを喜ばせてくれるけど、―――皮肉にも、オレを怒らせることにかけても、天才的なんだね」


ぎゃーーーーーーー!! 
だ、誰が許してくれてるのよっ、怒ってるなんてもんじゃないわよっ、このシャルル!
キレてるわっ、イッちゃってるじゃないっ!!
全身の血が音を立ててひいていくのがわかったあたしはっ、すうと瞳を絞った狡猾な表情で、これからどんなふうに料理してやろうかと、あたしをじっと見下ろしているシャルルをなんとかなだめようと、必死になってアワアワ口を開けたっ!
「ご、ごめんなさいっ、シャルル! ぜーんぶあたしの勘違い! ドジ、はやとちり、おっちょこちょいっ!
勝手にあんたを登場させて、肖像権のシンガイをしちゃったことは、ホントーに悪いと思ってるわ! 
あたしってばホラ、日本人の鏡だからっ、重度の仕事中毒なのよねっ、ははは! ついつい頭の中で、いろーんな物語が右往左往しちゃって、それがちょっとしたことで、口から飛び出て来ちゃうのよっ。い、今までだってあったじゃないっ!?
そんなつまんないことは、ぱーっと水に流してっ、広い心で許してちょうだいよ、ねっ!?
あ、あんたに心配かけちゃったことも、こんな時間までひとりでフラフラしてたことも、謝るからっ、お願いっ、どうか正気に戻ってちょうだいっ! 
あ、あたしなんか食べても、美味しくないわよぉぉっ!」
「じゃあ答えろ、マリナ…! 連絡もせずに、一体どこへ出かけていたんだ。オレとの約束を反故にしてまで!?」
「だっ、だからそれは…っ。
あ、あたし、約束破ってなんかないわよっ! 今日はね、不可抗力なことが多すぎて…っ」
「それに、なぜ病院になんかいたんだ!?」
「なんであんたがそんなこと知ってるのよっ!? だいたいシャルルだって…!
あーもー!! こんなこと繰り返してても、ラチがあかないじゃないっ。
だからあたしが出かけたのはっ」
「たのは?」
「その…あの、し、仕度が早く終わっちゃったからなのよっ!」
「…目的語が不足しているぞ。”どこへ”行ったのかと聞いているんだ、オレはっ」
「だからっ、―――あ、あんたに会いに行ったんだってば!」


瞬間シャルルは、いぶかしげに眉をひそめると、いつもの死体を調べるみたいな視線で、穴が開くほどにあたしを見つめたのっ。




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