2015/08/01

夏まつり1

☆恒例・夏だぜ! 期間限定公開☆


夏 ま つ り
デジ同人『愛はのびやかに広がるシャンテ』掲載作品 2002年作

シャルル・ドゥ・アルディは不機嫌だった。
えらく不機嫌だった。

それはいつものことだったし、みんなもそれはよーくご存知のことだろう。
いや正確に言えば、それはちょっと違っていたかもしれない。
彼はそう、戸惑っていたのだ。
自分に未知の事があるのをよしとしない彼の性根は、自身の力及ばずに正体不明のものに振りまわされるのを、極端に嫌悪する。それを解明するためならば、文字通り寝食も惜しまず、周囲の奇異の視線すら眼中なしだ。
だが―――今回ばかりは、ちょいっと勝手が違った。
今回ばかりは彼の探求心より自尊心より、忍耐力を優先させねば、これからの彼の人生にかかわるからである。


え、一体どこにいるのかって?


ではここで、ある夏の一幕の彼の努力と、彼女の受難の物語をこれからお話しよう。




















「は~ホレボレしちゃうわねぇ。

あなたは外人さんの中でも、特にキレイな部類の人だわ! 

『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンを思いだしちゃうっ」


ブーンと低い唸り声を上げて回転する、年代モノの扇風機の送りだす湿気を含んだ生ぬるい風、縁側から響いてくる風鈴の音色、日本人でなければ到底理解出来ないであろう異臭(蚊取り線香なんだけどね)が、畳の6畳間にたたずむ彼を取り巻く。
天井の低さに気をつけるように、時々頭をかがめながら、彼―――シャルル・ドゥ・アルディは、嬌声をあげながら、足元でかいがいしく動き回っている小柄な婦人を、それとは悟られないよう、吐息を押し殺しつつ見下ろした。

「ママ、はやく着せてよっ。お祭り始まっちゃうじゃないっ。
夜店グルメ味わうために、夕飯も腹八分目でガマンしたんだから」

濡れ縁で団扇を片手に、ガマンしたという割には巨大なスイカにかぶりついて文句をたれているのは、彼の婚約者―――池田マリナその人である。
「まったくあんたはそればっかりっ。ああ、よかった、丈もちょうどいいじゃないっ。
ほらごらん麻里奈! 周ちゃんの借りてよかったでしょ」
「ふん? む、ああ、まぁね。あいつ背だけはデカかったもんね。そういえば地元帰ってきてないの?」
「ちょっと麻里奈! 浴衣にスイカの汁こぼすんじゃないのよっ。
周ちゃんも忙しいんでしょ、あんたと違って立派な会社勤めですからね~」
「よけーなお世話よっ。だいたいあたしだって、ちゃんとマンガ家やってるじゃないっ。ゲ、ゲージュツにはお金なんか関係ないのよっ」
「ふん、そんな偉そうな口はね、稼いでからたたくもんよ。
本屋行ったってあんたのやつなんか見たことありゃしない!
ちょっとシャルルさん屈んでくれる? あら、ステキな髪だけどせっかくだからくくっちゃおうかしらね、暑いでしょ」
ウィもノンも彼女達の会話に挟むヒマもなく、シャルルのプラチナブロンドはあろうことかおばさんゴムで、無造作に後ろに束ねられた。
そうして出来あがった、浴衣を着た美貌のフランス人を満足気に眺めまわしてから、マリナの母である文奈(ふみな)は、いそいそと下駄を出しに玄関へと向かった。
ふと、背後で含み笑いが響く。
振りかえろうとした頭をぐいと押し戻されたかと思うと、はらりと白金の髪がほどかれ、丁寧にブラッシングされる。
彼の穏やかでない心中を知ってか知らずか、いかにも愉快そうに響きつづける笑い声。

「っ、くっく……こんな日が来るなんて、思ってもみなかったわ、シャルル」

「……好きにしてくれ」

先ほどより幾分まともに束ねられた髪は、彼の視界を広くした気がした。
まるでローブを羽織っているとしか思えない着心地の民族衣装を、彼は再度確認する。
なぜこんな事態になってしまったのか。
彼は緻密に整えていたはずの計画が、どこで狂い始めたのかを幾度も反芻していたが、池田家の玄関をくぐった映像から先で、考えるのを諦めた。
彼女のテリトリーでは、何が起きても不思議ではない。
目的を成し遂げる為には、これも想定の範囲内―――と、思うしかない。



「行こっ、あたしお腹ペコペコよっ」



脇をすり抜けて板の間を走っていくマリナの後ろ姿を、取り残されたかのように見つめ、彼はしばし立ちつくした。
その時の彼は、ひどく違和感を感じていたかも知れない。
だがその思考はマリナの切羽詰まった呼び声にかき消された。
あらわになった優美なカーブを描く頬に微笑みが浮かんだように見えたのは、黄昏時の見せるきまぐれな幻影だろうか。

やがて硬い床を裸足で歩き出した背中には、高揚したような雰囲気さえ、漂って見えた。

















「じゃ、いってくるわねっ」

「あんた迷子になるんじゃになるんじゃないわよぉ。まったくいくつになっても、落ちつきない子なんだからっ。
ごめんなさいねぇシャルルさん、よろしくお願いしますね」

「はい。しっかり見張っていますよ」

「なによ、人を子供みたいにっ!」

「その、財布を首から下げているあたりかな」


遠くで鳴り響く祭り囃子が風にのって耳元に運ばれ、それは否が応にも祭りの雰囲気をかきたてた。

夕闇に紛れる3人の影が、重なり合い長く伸びる。
ふくれて先に歩き出したマリナの後を追おうとしたシャルルはふと足を止め、誰もいなくなった家の玄関先で見送る文奈を振り返った。
「フミナ、よければ私のことはシャルルと呼んでくれて結構です」
マリナよりは上背はあるが、到底彼には及ばない小柄な婦人に、シャルルはこう切り出した。
まだ自分がファーストネームで呼ばれることに慣れていない彼女は、びっくりしたみたいにシャルルを見上げた。
だがすぐに、なにがおかしいのか陽気にカラカラと笑い出す。
「ああ、ああそうよね、あなたはあたしの息子になるんだものねぇ」
シャルルはただ自国の一般的な風習として、そう言っただけに過ぎなかったのだが、なんと彼女はこう言ってのけた。
顔には出さなかったが、この時シャルルはひどく動揺した。
息子―――この単語が、彼の心を揺さぶったのだ。
母、息子、家族。
彼の人生でこれほど縁の薄いものはなかった。
昔の記憶がさざ波のように押し寄せるのを感じながら、シャルルはマリナに良く似た面ざしをじっと見つめた。
しかし、驚いたのにはそれ以外にも理由があった。
池田家にきてまだ2日、そして一番会わなければならなかったマリナの父親は、急に入った仕事のせいで不運にも留守だったのだ。
まだ告げていない―――彼女との結婚の意志を。
だけど文奈はあっさりそれを認めていた。次女がいきなり連れ帰った、見知らぬ外国人を。
相好を崩した小柄であるはずの彼女が、言い様もなく大きなあたたかいものに感じられて、シャルルは自然に笑みを浮かべた。

「シャルル、あの子を頼みますね」

近所の夜祭りに出かけるだけなのに、きっぱりした笑顔でそう言った文奈は―――まるで花嫁を送り出す母のそれだった。
戸惑いの中、シャルルは彼女とマリナの間にある無償の信頼を、うらやましく思った。
そして彼女がその信頼を自分にも向けてくれたことが、嬉しかった。
それに育まれたマリナが、さらに愛しく胸にせまるのを感じながら、頭の隅にぼんやりと浮かんでいた考えが、はっきりと形をなしていくのを見つめていた。
自分は異邦人かもしれないが、この国に限りなく親しい気持ちを、寄せていると。
シャルルは自然に文奈に近寄ると風のようにハグし、小さな声でお礼の言葉を紡いだ。
文奈はシャルルのたくましい背中を二度ぽんぽんと叩くと、くるりと彼を反転させ、押し出すように娘の元へ送り出した。

「ちょっとー、シャルルなにやってんのよ、早く!」

曲がり角でぴょこんとメガネの顔を出して、そう急かすマリナへ向かって、彼はゆっくりと歩きだす。
裸足に履き慣れない下駄の不安定な振動も、落ちつかない薄着も、湿気のある外気も、もう全く気にはならなかった。




















まったく動けないほどではなかったが、祭り一色に塗り替えられた神社の鳥居の手前から、混雑は相当なものであった。


日本の平均的身長より頭一つは飛び出ているシャルルは、どこまでも続く黒髪の絨毯を見て辟易としてはいたが、それ以上に、神を祭るはずの神社仏閣がなぜある時期こういった変貌を遂げるのかを、考えていた。
明らかに堅気ではない者の出すあやしげな露店、怒声歓声、若者のけたたましい下品な叫声。
ふと眼下を見ると、もみくちゃにされてさぞ不快に思っているだろう恋人は、生き生きと目を輝かせ、せわしなく視線を辺りにさまよわせている。
食べ物のこともさることながら、おそらく彼女はこういった喧騒を好むのだろう。
突然、ぐいと袂が引っ張られる。

「シャルル! イカ焼きのお店ない!? 今匂いがしたっ」

ターゲットロックオン、だ。
シャルルの胸の下あたりで暴れるマリナを押さえつけて、吐息をつきながら視線を上げた。とにかくこの混雑から抜けない限り、話にならない。
祭りの興奮に飲みこまれた人々のわずかな合間をぬって、シャルルはマリナをかばうように歩いた。
流れをさえぎる邪魔者と、不遜な視線を向ける輩もいたが、彼の容貌を見た途端ほうけたように立ち止まり、あっという間にその立場は逆転した。
目の前にあらわれた人物―――粋な濃紺色の浴衣を着こなした長身の人物は、青灰の瞳、白金の髪、白磁の肌を持つ異人種だったから。
そして更に、この熱気さえも従わせてしまうような美しく整った冷ややかな相貌を、ただ見たいがために流れをせき止めてまで立ち止まる。
老若男女、すべて。
シャルルはそんな彼らの前を悠然と横切り、流れをせき止められた理由を知らない人々が後方から上げる抗議の声もどこ吹く風で、無事杉並木の並ぶ沿道へと出たのだった。
と、直後に順番待ちの人ゴミなどごめんだと言わんばかりに、怖いもの知らずの若者がすごい勢いで走ってき、シャルルに手を引かれて人いきれから出たばかりのマリナに体当たりした。
わき起こる悲鳴。
若者の体とともに、シャルルの手からもぎ取られるようにしてマリナは人ごみに倒れこみ、事態は緊迫した様相を呈した。


「マリナ!」

「いったーいっ」

「んだよっ、急に出てくるんじゃねぇよ!」


3人の声が喧騒に入り混じり、物見高い人々が好奇と非難の視線を浴びせる。
ビーチサンダルをつっかけた金髪の男は、にきび面を歪ませて起きあがると、謝罪の言葉もなしに立ち去ろうとした。
瞬間。
目の前を風が突っ切ったかと思うと、胸ぐらがすごい力でつかまれ引き戻され、気がつくと自分が拘束されていることに、男は驚いた。
しかもそれをしているのは女性と見紛う美貌の外国人。

「見るからに低能のお前に、最低の礼儀を求めるのは贅沢というものか…?」

端正な唇から滑りでた鋭利な皮肉は見事な日本語で、男はぎょっとしたように体をすくめた。
だが、着ているタンクトップが引きちぎられんほどの力と、首を締め上げられる切迫感が男に危機を知らせる。
そしてそれ以上に恐ろしいと感じたのは、侮蔑のこもった、底暗い殺意すら浮かべている冷たいブルーグレーの瞳。
「す、すんません…、わ、悪かったっす」
哀れみのこもった声をなんとか絞りだし、その美貌の外人の小脇に抱えられた小柄な女に視線を投げる。
まだ正気を取り戻してないように小さく頭を振るメガネの女は、視線が合うといきなりくわっと大口を開けて怒鳴った。
「気をつけなさいよね! もしあたしがかき氷とか焼きイカとか持ってたら、落っことしてたとこよっ。そうだったら半殺しだったんだから!」
なんとも見当違いな怒鳴り声に、男はこの異様なカップルに底知れぬ恐怖を抱いた。
拘束の力が緩んだとたん、若者は転げるようにしてその場を逃げだすと、せっかく出てきたんであろう人ゴミにまた飛びこんだ。
一部始終を見守っていた人々は顛末を見届けると、とばっちりを受けるのはごめんだとばかりに、すぐさま無関心を決めこむ。
シャルルはそれには一瞥もくれずマリナに視線を戻すと、優しく彼女を杉に寄りかからせ、医者モードで異常がないかを確認した。

「ふんっ、一発くらい殴ってやりゃよかったかしらっ」

「マリナ、大丈夫か? 頭は打っていないか、吐き気は?」

「やーね、あれくらい平気よ。ただお尻をちょっとぶっつけちゃったけど……あたっ」

「どうした!?」

「あ、足ひねっちゃったみたい~」

「ここか?」

「いっ! そうそう、ちょ、触んないでよっ」

「触らなきゃわからないだろ、ちょっと黙ってろ。……ああ、骨折はしていないな、軽度の捻挫だろう。冷やせばいくらかましになるよ。少し休もう」

「えー! 平気よこんなのっ、まだ何にも食べてないのにぃ」

「夜店は逃げやしないだろ。これが精一杯の譲歩だ。
おとなしく言うことを聞かないと、このまま強制送還するぞ」

そう詰め寄ったシャルルに抵抗は無駄だとわかったマリナは、『こんなことなら、あいつにたこ焼きのひとつでもおごらせるんだったわ』とぶつぶつ文句を言い出した。
そんなマリナが次の瞬間、言葉をのみこむほどに驚いたのは、突然ふいに体が浮き上がり、鬱蒼とした闇をも弾くシャルルの麗美な横顔が、ぐんと目前に近づいたからだった。

―――こんな大衆の面前で抱きかかえられている恥かしさと闘うようにして、彼女はあわてて顔をふせ、シャルルを急かすのだった。






マリナをしっかりと胸に抱きしめながら、抜け目なく巡らす視界に、境内脇にある杉林に隠れたベンチをとらえると、絡みつく人々の嫉妬と羨望の視線を振り切り、シャルルは颯爽とその場を後にした。