「あ~~~、気持ちいい」
「そのまましばらくそうしていろよ」
どこから入手したのか、シャルルは大量の氷を手にマリナの元へ戻ると、手際良く彼女の痛んだ足を固定し、冷罨法(れいあんほう)を施した。
「ほら、お土産だ」
「え!? あっ、たこ焼き!」
「残念ながら君のお目当ての店は遠くてね、これで我慢してくれよ」
「ガマンなんてとんでもないわっ、ありがとシャルルっ」
ふいに浮かべた恋人の満面の笑顔と、玉砂利に投げ出された浴衣の裾から伸びる、ほの白い健康的な足が彼の視線を惑わせる。
なぜか反射的に顔をそらせる彼の様子など、たこ焼きしか目に入っていないマリナには、気付くよしもなかったのだが。
「はいシャルル、いっこあげるわ」
「オレはいいよ、…どういう風のふきまわしだい」
「あたしの気が変わらない内に食べたほうがいいわよ。介抱してくれたお礼。おいしいわよ、いっしょに食べましょ」
いっしょに。
薄闇の中、彼は淡く微笑んで彼女の好意を受けた。
「ね、おいしいでしょ? これだから日本の夏はたまんないのよっ」
「せっかくの素敵な衣装だっていうのに、君ってやつは…」
シャルルはあきれたように吐息をつくと、愛らしい唇の端を汚しているソースと青のりを拭ってやった。
ガサガサと遠慮なく音を立て、早々にゴミになってしまった容器をまとめながら、マリナはちらりと自分の着ている浴衣に目をやる。
「これ、子供っぽくない? だってあたしが中学の時着てたやつなのよっ。柄だって可愛いとは思うけど、金魚だし」
不服そうに裾をつまむマリナの首筋から、はらりと数筋の後れ毛がうなじの衣紋にこぼれおちる。
そう、今日彼女はいつものざんばら髪を結い上げていたのだ。
年の割に少女めいた雰囲気は今もって損なわれることはなく、女性と少女の合間を漂うマリナには、無邪気な赤い金魚の浴衣すら、不思議と艶めかしく扇情的に、シャルルの目には映るのだった。
「そんなこと……ない。とてもよく似合ってる」
「それって、いつまでたっても子供ってこと!?」
「まあ良識ある女性は、歯に青のりをくっつけながら、たこ焼きなんて頬張らないと思うけど?」
「そ、それは、それよっ。これはレッキとした日本の伝統文化ですものっ」
苦しまぎれの理屈を並べる彼女の横顔に移した視線は、一枚布に包まれただけのなよやかな体に、いつの間にか釘付けになる。
途端、林を隔てた喧騒が遠ざかり、熱をふくんだ外気がねっとりとシャルルを包んだ。
胸の中の決して動じない心臓が、大きく跳ね上がったのを感じる。
シャルルは、それを振り払うように急いで口を開いた。
「オレたちの文化圏からすると、日本の伝統衣装というのは本当に不可思議に映るよ。ダンジョウの家で打ち掛けを着た時にも思ったが、この美しいフォルムが一枚布から出来ているというのが驚きだ。
そして夏に着る浴衣というのは、素肌に羽織って腰帯で止めただけのもの。文字通りバスの後のローブというわけだ。
これは薄着すぎて―――落ちつかないね」
ここへ来る道中ずっと考えていたことを、シャルルは口にした。
自身が感じる着心地の違和感ではなく……想いをよせる彼女が、こんな薄着で表をかっ歩していること、そしてその隣を歩かねばならない自分の態度が…という意味を含めて、彼は誰にともなくそう告白した。
「あら、慣れればなんてことないわよ。動きやすいし涼しいし、あたしは好きよ浴衣って」
シャルルの心情など彼女が解するはずもなく、明るく返された言葉になぜか気持ちがささくれだつ。
「何を勘違いしているんだ、オレも好きだよ。こんなに脱がせやすいものはない、ねぇマリナちゃん?」
「な…! 何言って……っ」
「君はまだオレのこと、いや男というものがわからないらしい。こんな格好で目の前をうろつかれるオレの気持ちを考えたことがあるかい?
あまり男をなめるものじゃないよ、マリナ。
あまりに無邪気にされると、返ってプライドが傷つけられるね。
君はオレのことなど意識もしないというわけだ。
オレはいつでもどんな時でも、こんなにも君が欲しいというのに」
祭り囃子は一層高らかに鳴り渡り、人々の心を麻痺させ日常を徐々に剥ぎとっていく。
逃げられないようにマリナの手首を捕らえたシャルルの瞳は、そら恐ろしくなるほど、熱を持っていた。
弾力のある、しっとりと汗ばんだ肌の熱さを両手のひらから味わっていたシャルルの体は、抑え様もない喜びに震えていた。
しかし同時に、全く別のことが彼の頭を占めていた。
なんと愚かなことを。
大事に慈しんでいるはずの彼女に、こんな言葉を投げつけるなんて。
聖なる永遠の契約を交わそう相手に、こんな剥き出しの気持ちをぶつける自分が、ひどくあさましいものに感じられ、日本という大事な彼女のテリトリーでタブーを犯したことを、ひどく軽蔑している自分がいた。
その自己嫌悪は彼の潔癖すぎるプライドを激しく苛んだが―――目の前で見開かれたマリナの目が、彼を現実に引き戻す。
戸惑い、羞恥、そして怒りと侮蔑。
突然頭の中で何かが弾けた。
いつもの彼ならば、何億というバラバラのピースを緻密に組み立てていくように思考を構築させていくのだが、これは俗にいう、インスピレーションというものに近かった。
あの言葉は、紛れも無く己の本心だと。
そして更に思った。
対等でありたいと望む彼女と接するならば、自分も偽りなく本心をさらけ出す必要があるのだと。
譲れない想いは自分にもあるのだと、誇示することも重要だと。
例えそれで互いに傷つくことがあっても。
彼女も、それは承知していたことではないか。
いや、自分達はそうあるべきだと、常日頃となえていた。
内世界が解放されていくのを感じながら、シャルルはそう―――素直という言葉を手にしていた。
「ふざけないでシャルルっ、怒るわよ」
「今君を放したら、オレはこの思いすら手放すことになる。行くな、マリナ。そばにいてくれ」
その言葉の響きに、マリナは目を見開いた。
いつものからかいじゃない、ただのセックスの誘いでもない―――いきなりの無遠慮なシャルルの行いに憤慨していた彼女の心に、疑念がわいた。
でもシャルルの瞳はいつものように…いやいつも以上に美しく澄んでいて、それだけでマリナの心は凪を取り戻した。
その瞳の美しさの雄弁さをマリナは一番良く知っていたので、彼が何かを見つけたのだという答えを導くのに、充分な要素だった。
マリナはふうと肩の力を抜き、彼に笑いかける。
「なんかノド渇かない? 何か飲んで、落ちついてから話し合いましょうよ」
「そういうことなら、買いに行くには及ばないよ」
シャルルは美しい微笑みでそうつぶやくや否や、余った氷の袋に素早く手を伸ばすとその数個を口に含み、マリナの唇に覆い被さった。
萎縮した彼女の体を抱き寄せ、口中で砕いた氷塊を少しずつ送り出す。
マリナは彼から受け取った物が、自分の認知している氷というものではないと、ぎゅっと閉じた目の奥で考えていた。それはなぜって、それは信じられないほど、熱く甘いものだったから。
―――どちらともなくこぼれた水滴が、二人の首筋を伝っていく。
シャルルはそれを追うように、マリナの首筋に舌を這わせた―――
途端、これまた信じられないほど艶めいたマリナの吐息が漏れて、シャルルは完全に我を忘れた。
「はあ…だめ…いや、よ、こんなと、こで…シャルル…っ」
「今オレたちの邪魔をするやつは……殺してやる」
共衿からのぞく、桜色に浮かび上がるマリナの肌に唇を当てようとした瞬間、
「麻里奈!」
近くの闇の中から、二人の濃密な空間を引き裂く声があがった。
自分の名前を予期せず叫ばれ飛びあがるほど驚いたマリナだったが、遠い昔に聞き覚えのある声だと瞬間的に察していた。
そして闇をかきわけ現われた人物に、その予感は確かなものとなる。
「大丈夫か麻里奈!? おい外人! そいつから離れろ!」
「し、しゅーへー!!?」
二人の前に立ちはだかった敵意むき出しの長身の青年は、マリナの幼なじみである友人、そして今シャルルが着ている浴衣の持ち主である、神那周平(かんなしゅうへい)その人だった。
「はやくこっち来い、バカ!」
「ち、ちょっとなに勘違いしてんだか知らないけど…!」
息まく周平にあわてて弁解しようとしたマリナの前に、突然シャルルが立ちふさがった。
明らかに背中が……オーラが怒りまくっている。
その時マリナの耳にぼつりとこぼれたフランス語が飛びこんできた。
すでにマリナは、会話こそおぼつかないがヒアリングはかなり上達していたので、シャルルのつぶやきの中に『テュエ』…殺すという単語を聞きつけ、足の先まで一気に青ざめるのだった。
今のシャルルなら絶対やりかねない!
そう感じたマリナは、急いでシャルルの前に回りこみ周平につめよると、そのまま帰省してきたのであろう、祭りには場違いなスーツのスラックスの脛を思い切り蹴り上げた!
「いっっ…てー!! おま…っ! なにすんだっ、人がせっかく助けてやろうとしたのに! ちっとも変わってねぇなっ、このマンモスゴリラ!」
「何トンカチなこと言ってるのよ、ばかシューマイ! シャルルはそんなんじゃないわよっ、ちゃんとしたあたしの知りあいよ!」
「へ……!? マジ?」
「シャルル・ドゥ・アルディ! 2日前フランスから来て、今うちに泊まってるのよっ。おばちゃんに聞かなかったの!?」
「し、仕事先からそのまま帰って来て、まだウチに寄ってねぇんだよ。
祭りをのぞこうと思ったら、なんか人だかりが出来てっから、何かと思って聞いたら『ロリコンの外人がラブシーンやってる』なんていうんで、ひょいと見たらまんまるメガネが見えるじゃねえか。お前ってマヌケだから、昔っから誰にでもついてっちまうだろ? なんか悪いのに引っかかったんだと思って、俺、夢中であわてちまって……。
その、悪かったよ、ワリっ!」
周平はバツが悪そうに、シャルルと同じくらいのスラリと伸びた長身を縮め、ぴょこんと頭を下げた。
しかしマリナは、卒倒するかと思うほどの恥かしさに耐えるのに必死で、そんな謝罪の言葉などまったく耳に入らないのだった。
林の影だと思って安心していた媚態を、見知らぬ人々に終始見られていたなんて―――!
だが次の瞬間はっと我にかえると、もう一度周平の脛を下駄でぱかーんと蹴り上げた。
「ぎゃー! お、おんなじとこ蹴るなあっ!」
「誰がマヌケよ、ロリコンよ! それってあたしが子供に見えたってことよね!? し、失礼にもほどがあるわよっ」
「そ、そんなこと知るかぁ! 第一そんなん着てるお前が悪い! あーん? それどうも見覚えあると思ったら、中学の時にも着てたヤツじゃねぇかっ。
ぷ、お、お前今時貴重な存在だよな、これほど発育しねぇ女ってめずらしいぜ。ビックリ人間でれば?」
膝蹴りの仕返しと、皮肉を言い続ける周平につかみかかろうとしたマリナは、ふと背後にオソロシク冷ややかな気配を感じた。
おそるおそる振り返ると、やり場の無い怒りをまとった氷像も真っ青なシャルルが、その青灰の瞳に鋭利な光をたたえながら、全てを拒絶するように腕組みをして、二人の漫才のごときやりとりをじっと睨んでいた。
「あ、あのシャルル……この失礼なアホは神那周平っていって、あたしの幼なじみ…」
「ああっ! 麻里奈お前、もしかして、あんなことこいつとやってたってことは、その、つまり…まさか」
「え!? …あー…そ、そうよっ! シャルルはねぇっ、あたしの恋びと……っ」
「夫だ」
周平の疑問に、へどもどとやっと告白したマリナの言葉尻を奪うように、シャルルはきっぱり、ずっぱりとそう言ってのけた。
ふいの爆弾発言に周平ばかりか当のマリナまで目をこぼれんばかりに見開いて、つんとそっぽを向くシャルルを凝視する。
「うわーーーっ、う、嘘だろぉ!!??」
「な、な、なに言ってんのシャルル! まだそうと決まったわけじゃ……!」
『本当のことを言ってなにが悪いんだ』
いらだたしげにフランス語でそうつぶやくシャルルは、アワアワと口をおっぴろげている周平に、くるりと背を向けた。
どうやら彼はもう日本語を喋る気はないらしい。
自分たちの秘め事を邪魔した人物が、マリナの知人でなければとっくに息の根を止めていたものを……シャルルのやり場のない怒りは、せめて外界を遮断することで、どうにかことなきを得ている有様だった。
「お、お前がこいつと結婚だ~!? この王子みたいなやつとー!? 何の冗談だ、今は8月だぞっ。それともまたなんかワルイもんでも拾い食いしたのか!? アホなマンガばっか描いてるせいで、とうとう夢と現実の区別がつかなくなっちまったのかっ」
慄然とした周平は急いでマリナに飛びつくと、両肩をつかんでゆさぶった。
しかしそれを黙って見逃すシャルルじゃない。
さっきまでこの腕の中にいたマリナに他の男が触れるなんて、言語道断。
すぐさま周平の手首をつかむや否やぐいとひねり上げ、マリナとの間に分け入ると、その瞳に冷たい光をたたえて射るような視線を彼に向ける。
『貴様こそその無礼な態度、暑気あたりで脳がいかれたとしか思えんな。ここはマリナに免じて憐れんでやろう。特診科に紹介状でも書いてやるから、今すぐ失せろ。でないと救急車の迎えをよこすぞ』
「な、なんだよっ、日本にきたら日本語くらい喋りやがれ…って、ん? お前さっきなんか喋ってたよな?」
『貴様ごときにお前呼ばわりされる覚えはない、不愉快だ』
「何怒ってんだよ、いてーな! 手放せよっ」
浴衣のフランス人とスーツ姿のサラリーマン、しかもそのどちらも目劣りしない容姿の青年同士が、一触即発の雰囲気でつかみ合いときている。
まるで人ごとのごとく、当然マリナの好奇心は刺激されたが、その時風にのって囁かれる林向こうの人々の声が耳に入った。
《え、ナニ? 女の子のオヤジが助けに来たって?》
《どうしても結婚するんだって、外人がきかないんだってよ!》
《えー違うでしょ。あのスーツの兄チャンが横恋慕してるんじゃないの》
《誰か言葉わかる人いないの!? 誰か呼んだ方がいいかしらっ、ねぇ》
《誘拐でも企んでるんじゃねーの? 取り合いするような女か、アレ。きっと財産でもあるんだゼ》
《てゆーか、かっこよすぎじゃない!? あの外人とリーマン! なんかの撮影かな、あとで声かけちゃおーよっ。写メ写メ!》
尾がつきヒレがつき、噂がウワサを呼んでどんどん発展していくその内容は、漫画にしたらさぞ面白くなるだろうと耳をそばだてていたマリナだったが、よくよく考えると自分達がその当事者なんだと思い当たり、この男どもをなんとかしなければならないと焦った。
へたをすれば警察沙汰なんていう、不名誉な結果にだってなりかねない。
何のために日本へ帰ってきたのか、肝心要の父親は家を空けたままだし、話が終わってケリさえついていれば、ここで世にも珍しい見物が見れたのにと、今ここにいない父をマリナは心底恨んだ。
その時、神社裏の広場で大気を震わす太鼓の音が鳴り響き、一時人々の関心はそちらへ向いた。
チャンスとばかりにマリナは足を振り上げ、睨みあっている大の男二人の脛めがけて、イタイのをお見舞いする。
ただし聞こえたのは周平一人分の悲鳴だけだったが。
「い~…っっ! い、いい加減にしろぉぉ、お前ぇ~!」
「いいかげんにするのはあんたたちよっ。おまわりさんでも呼ばれたらどうすんのよっ。
周平、もう誤解はとけたんだからいいでしょっ。
シャルルっ、あんたも大人げないことやってないの! 早くこっちっ、逃げるわよ!」
マリナは小さい体で二人を押し出すと、裏手で始まった櫓太鼓の会場へ紛れようとした。
ふとシャルルが振り返り、何事もなかったかのように涼しい声で言う。
『マリナ、足は大丈夫なのか?』
「えっ、なに、あし? ああうん、平気みたい。もう痛くないわ、普通に歩けるもの、ほら」
走ろうとした途端やはり鈍い痛みがくるぶしに走り、マリナは玉砂利に足をとられた。
そばにいた周平がとっさに手を出したが、それより早く俊敏な動きで、美貌のフランス人がマリナを抱きとめる。
おそらく不慣れな下駄履きに砂利道だというのに、それでも彼が受け止めることが出来たのは、マリナの方でも、反射的にシャルルに向かって手を差し伸べたからだった。
それはとても自然な構図で、脇で見ていた周平はこんなに違う二人なのに、なぜこうもしっくりいくのかを考えていた。
恥かしそうにテレ笑いをする幼なじみの女、白金の髪を一筋頬にまつわらせて、ほのかに微笑む異邦の男。
周平は昔から知る少女がこんな笑い方をしたのに、正直どきりとした。
先ほど脛を蹴られた時、どれほど時がたとうとこいつだけは変わらないと、痛い反面、懐かしさすらこみあげた。
しかし男の隣に立つマリナの雰囲気はどうだ。
けなしはしたが、子供時代に着ていた浴衣ですら、シャルルの隣を歩くにふさわしい衣装のように見える。
もはや、二人の間には到底入りこめる隙はなかった。
そして外見だけで不釣り合いを笑った自分を恥じた。
平気だと言い張るマリナを自分の腕につかまらせ、かばうように歩くシャルルの背中をそうして見ているうち、なぜだかうらやむ気持ちすらわいている自分に気付く。
見目の秀でた容姿のせいで、今まで女に苦労したことのない周平だったが、かつてこれほどの関係をつくれるような女と出会っただろうか。
いや、自分はそれをつくろうと望んだことすらなかったではないか。
傲慢で一方的な態度ばかりが、頭をよぎる。
周平は吐息を隠すように夜空を見上げた。
夏特有の熱気を含む空気には、周平を慰める要素はなにもなかったが、祭りの高揚感が彼の心を押し上げ、まだかすかに痛みの残る手首に目をやる。
あいつ、本気だったな。
自然に笑みがこみあげて、周平は玉砂利を蹴るとマリナの隣に駆け寄った。
「な、フランス語で”ごめん”ってどう言うんだ」
「え!? えーと、えへへ、なんだっけ」
マリナは頭をかきながら、隣のシャルルに目線を送る。
そいつに聞いたらなんにもならねーだろうがという表情をした周平を見て、シャルルも小さく吐息をつくと、流麗な言葉を紡いだ。
『―――Je suis desolee』
「そうそう! ”でぞれ”よ、でぞれっ」
「……お前が言うと、まるっきりひらがなだな。
いいか麻里奈、こいつと結婚するんならマジちゃんと勉強しろよ!
俺、外勤やったことあっからわかるんだけど、言葉って大事だぜ。違う文化の言葉で自分の気持ちを100%表すのは、至難のワザなんだ。
せっかくこんなすげー奴つかまえたんだから、コミュニケーション不足で離婚なんてことになんないようになっ」
「ど、どーしたの周平、いきなり」
「ふん。あー、シャルル? デゾレ、ジュスゥイデゾレ! ……わかった?」
真剣な面持ちでシャルルに問いかける周平を見て、いさぎの良さはちっとも変わっていないと、マリナは気分が良かった。
口こそ悪いが、自分の誤りを素直に認め正す所は、周平の昔からの美徳のひとつだったから。
マリナのはるか頭上で交わされる視線には、すでに険しいものはなく、シャルルは笑みこそ浮かべなかったが周平を一瞥し、小さくうなづくのだった。
そんな日仏友好の絵図をにんまり見ながら、マリナは二つの広い背中をバンバン叩いた。
「さっ、しきり直しに櫓太鼓でも見物しましょーよ! あっ、その前に食料調達ねっ。シャルルはお好み焼きで、周平は焼きそばとジュース、あたしはうーん、かき氷は絶対だしっ、チョコバナナも捨てがたいわねぇ。リンゴ飴やわたあめもいいし、ついでに輪投げや金魚すくいに射的なんかも……ふっふっふ、あー迷っちゃうっ。
よしっ、じゃ買ったら、この木の下に集合ねっ」
「『マリナ!』」
「な、なによ二人してっ」
『君はここで待っていろ』
「お前をこんなとこに野放しにしたら、俺たちがメーワクするっ」
『兎の巣穴に狐を放り込むようなものだ。ここに首輪がないのが惜しまれるな』
「いーからチョロチョロしないでここにいろっ。な、いっそのこと、あの荒縄ででもしばっとくか?」
周平は言葉なんか気にしないというように、神妙な顔つきでシャルルと視線を交えた。
それを受けシャルルも意味ありげな顔で、そこかしこにあるお飾り用のしめ縄に目を向ける。
その二人の間で、あわれマリナは必死に首を振り続けるのだった。
示し合わせたように二人は高圧的にニヤリと笑うと、硬直したマリナを残して、悠々と人波に入っていった。
