2019/01/28

Joyeux Anniversaire Chalres 2019



暗い…、なぜこんなに暗いんだ。それにこれは、―――水音?





意識がはっきりしない。
身体の自由が利かず、まるで飛んでいるかのような浮遊感、…五感が、酷く鈍っている。
昨夜は、いや、眠ったのはいつだったか―――酒も、睡眠導入剤も飲んでいなかったはずなのに、この状態はどこか異常だ。
しかし、なぜかこの状況下、オレは不安を感じていなかった。
いつも冷ややかな指の末端や、まして髪の先までが、どこまでも温かく安心できるぬくもりに包まれていたから。
殺伐とした緊張に満ちた日常が、まるで嘘のように感じる。
こんな感覚は、マリナを抱きしめ眠りに入る時以外で覚えはない。
オレは緩む身体のままに、心地良さを更に求めるべく、手足を伸ばしてみた。どうやら、比較的柔軟に動くことは出来るようだった。
《…ゃあ、シシマル》
マリナ!?
突如響いた轟音に全身が硬直する。
耳で聴こえた、というより全身で感じ取ったというべきか。
膜を張ったような奇妙な音だったが、それは確かに、彼女の声だった。
しかし相変わらずオレの感知する世界は、闇色に染まったままだ。
マリナ、マリナ!
呼べど叫べど、周囲は無反応。おそらく発声が出来ていない。
自分の意識が、にわかに緊張するのがわかる。彼女が近くに居るのならば、何としてもここから脱出する必要がある。
《却下》
《えー、ウーン…あ、リュウノスケとかコジロウ! 強そうっ》
《覚えづらい、響きが悪い、国際的じゃない。却下だ》
聞き覚えのある声だった―――不遜で不機嫌そうな、そう、これは「オレの声」だ。
では”このオレ”は、一体なんだ?
《なによもうっ、さっきからキャッカキャッカって、ちっとも進まないじゃない》
《いくら親族会議を黙らせたからといっても、無分別に言い放ち過ぎだ。ほんの少しでいい、頼むから考えてから口を開けよ、無知蒙昧》
《ムチモー…? あんた今悪口言ったでしょ! ちゃんと考えてるわよ、シツレイねっ。じゃあ~》
飛び跳ねるような言葉の応酬に思わず口元が緩む、明らかにこれはオレ達だ。オレとマリナの、会話だ。
聞き取れないが、何やら低い連続した音が周囲を取り巻く。
どうやらマリナが独り言をこぼしているらしい。いつものように唇を噛みながら、一点を見つめている様が、脳裏に浮かぶ。
ひとまず危険は無さそうだと判断し、オレは情報を収集するべく、しばらく様子を伺うことにした。
しかしこれは―――全くもって、不可解だ。
《うう~じゃあもう、やっぱり、ジョーがいいっ。あしたのジョーの矢吹丈からとって、ジョー! これなら日本でもフランスでも、どっこでも通用するでしょっ》
《フン…、ジョー、ね》
《カッコイイでしょ? 強そうだし》
《しかし何かにつけ、君は執拗に強さを求めるな》
《当り前じゃない、やっぱり男は強くなきゃ。自分も家族も、好きな子も守れないじゃない!》
―――フフ、と低い含み笑いが聞こえた。
これはオレが比較的、上機嫌な時にとる行動だ。
気恥ずかしさは感じたが、この状況がなぜかとても親しみ深く、オレはふたりの会話をいつの間にか傾聴していた。
《じゃあ、ジョルジュはどうだい? 愛称としてジョーと呼べるし、兵士や農民、旅の守護神として世界的に広く愛され、竜退治の伝説も残る勇猛な聖人の名だ。そして、語源である古代ギリシア語では》
《では?》
《”聖ゲオルギウス”―――さすがに聞き覚えはあるかな、マダム?》
はっと息をのむ気配がし、沈黙が訪れた。
次いでぐらりと大きく世界が揺れ、オレは空間の移動を感じた。
《キャー!!》
瞬間あがった、喜びにあふれたはじけるような歓声は、マリナの高揚した気持ちのまま、オレにダイレクトに伝わった。
明かりが灯ったように、胸が、温かい。
《マリナっ、あまりうかつに動くな、危険だ》
《すごい、すごいわシャルル! やっぱりあんた天才だわっ、それ最高、それに決定ーっ! あんたは今日からジョーよぉ~、かっこいいわねー! ねえっ、ボクシングやらせましょうよ》
ふいに、どくんどくんと脈打つ鼓動のような打音が、高まる。
これは、オレから発せられているのか?
音の行方を確かめようと、夢中で手足を伸ばした時、真綿のように柔らかくしかししっかりした柔軟性のある壁面に、触れた。
《わ、蹴った! きっと喜んでるのよ、この子っ。ねー、ジョー?》
その時、すべての合点がいった。
ここがどこなのか、自分が何者なのか。
息をのんだ刹那、ふたりの笑い声が急激に近くなった。
どうやら、マリナはオレの膝の上にでも囲われているのだろう。
《ふふ、そういやあんた、腹は決まったの?》
《…子供は理論的でないから、苦手だ。その認識は今もって変わってはいない》
《まったく、この期に及んで往生際が悪いわよ。困ったパパよね~》
《だが》
《なぁに?》
ゆったりとした時間が流れている。
困ったという割には愉快そうに、心身を預け、心から安心しきったマリナの様子が、こんなにもよく解る。
《現状に甘んじて停滞することは、したくない。君と出逢いオレの世界は一変した、あれだけ厭世的だった世界が、鮮やかに色付いた。それは決して、独りでは得られなかった事だ》
きっとマリナを抱きしめているだろうオレの深い声が、彼女を通して、沁み通ってきた。
マリナというフィルターを通して聞く己の声は、ひどく歪で不可思議だったが、何とも心地良く豊かで―――こんなにも彼女が満たされるのかと、小さな感動を呼び起こした。
《君と、成長したい。まだ知らない世界を、マリナと、これから迎える新しい家族と共に、迎えたい…、なんだ、その顔は》
《ビッ、クリした。あんたが、あの偏屈なアルディ家ご当主サマが、そんなこと考えてるなんてねぇ、あっはっは》
《…偏屈で、悪かったな》
《そんでもって、あんたもすごいわ、ジョー。あんたはねぇ、この世に生まれる前から、誰も変えられなかったこの高慢ちきを、変えちゃってるんだものっ、ふふっ。
さすが、この世の大天才、シャルル・ドゥ・アルディの息子ね! 天才に囲まれて、あたしは最高に鼻が高いわぁ! イタタタタ、なにすんのよアホシャルルっ》
《最高に高いなら、少しくらい削れても平気だろ》
軽やかに応酬する言葉はまるで天上の調べのように快く、愛を語らずとも根底に流れるこの確かなぬくもりは、オレが長い間求めてやまなかったものだと、直感した。
なんと美しい形だろうと、胸が震える。
ひとしきりじゃれ合い、穏やかに寄り添っているだろうふたりの声が、幾分ぼんやりと淡くなる。
《もう、休んだ方がいい。眠るまで、そばにいるよ》
《あたしは大丈夫よ。あんたこそ抜け出してきたんでしょ、もう戻らないと。でもあんまり無理しないでね、この子が生まれる前に未亡人なんて、イヤよっ》
《身に沁みて。オレの場所は、ここしかない。マリナと―――ジョー、君の傍だ》
不覚にも、目頭が熱くなった。
なんだ、この感情は。
そう思った時、ふいに世界が遠のきだした。
薄れゆく意識の中、心地良い空間から引き千切られ、寂寞(せきばく)たる空間に放り出される不安感が、オレを襲う。


でもまさか、予定日が   あんたの誕生日と       同じだなんてね。
これってちょっとした、              奇跡   ね


意識の最後に残る五感は聴覚といわれているが、オレはそれを実体験したらしい。
君こそ奇跡だ。信じられるか、こんな喜びを!
オレの子の母となる、愛しいマリナの丸く柔らかい声が、頭の中に優しく転がる―――








「…るる、しゃーるるったら!

あんた寝ながら発作起こしてるんじゃないでしょーね、もういい加減おきろーっ、1時間も怒鳴って、ノドがガラガラよ!」

「!?」
「お、起きたーっ。死んでるのかと思ったわ! 消費したカロリー、あんたのケーキでしっかり補充させてもらうからねっ、フン!」
「ここは…、執務室、か」
「そうよっ、仮眠するからあとで起こしに来いって、あんた偉そうに言ったでしょ。働き過ぎでとうとうパーになったの? いったっ、殴るなバカシャルルっ」
「1時間と言ったな、オレはその間ずっとここにいたのか?」
「はあ? 当たり前でしょ。どっか行ってくれてたら、あたしは喜んで、引き取り手のいなくなったケーキを頂いてたわよっ」
いつもの風景の中、表情豊かに苦情をのたまうオレのマリナ。
1時間怒鳴り続けたという割には、楽しんだ後がオレの頭髪の変化で見て取れた。
顔にいたずら書きをされるまでには至らなかったようだが、オレは細かく編み込まれた髪をほどきながら、先ほど体験した出来事を細部まで思い返していた。
そこでハッとし、マリナのブラウスの裾をとっさにまくり上げた。
「ギャー! ちょっと、ナニすんのよエロシャルルーっ!!」
オレには魅力的だが、いつも通りの寸胴っぷりに、気が緩んだ。
あの特徴的な腹部の膨満や兆候は、ない。
あれは一体……?
オレを殴ろうとあばれる彼女を抑え込みつつ、思案を巡らせるが、どれだけ考えても答えは一向に出なかった。
「もー、いくつ年食ってもあんたのキテレツなとこ、いっこも治らないわね! もういいから、早くケーキ取りに行こっ」
あわや発作、というところでグッと手を引かれ、オレの意識は浮上する。
まるで目の前にぶら下がるエサを追いかけるがごとく、目の色を変えて振り返ったマリナは、勢いよく駆け出したがため、いきなり絨毯に足を取られ、つまづきそうになった。
その様子に、オレは雷に打たれたように感じ、同時にその恐怖と危機からマリナを守るべく、とっさにその頼りない腕を力の限り引き、胸の中に引き戻した。
”彼女に、彼女の身体に、衝撃を与えてはいけない、絶対”
まるで細胞単位で命令が下ったかのように、オレの身体は瞬時にそして的確に動いた。
極力柔らかくしなやかに、彼女を抱きとめ、オレは戦慄した。
”何が、恐ろしかったのだろう”
震えそうになる呼吸を押し込め、正体のわからない不安に、オレはただマリナを抱きしめ安堵した。
下は絨毯だ、転んだところで何の支障もない―――しかし。
「あ、ありがとシャルル…でも苦しい、わよ、なんなのっ」
漠然とした心配ばかりが募り、腕の中で目を白黒させているマリナに気付くまで、ずいぶんかかってしまった。
「あんたほんとに、どうしたの? どっか具合でも悪いの?」
濡れたような黒目がちの大きな瞳が、オレをのぞき込む。
その瞳の中にオレがいることが、例えようもなく嬉しい。
ああ、オレが、愛の中にいる。
小さな身体を再び抱きしめて、茶色の髪に顔をうずめ、その愛を呼吸する。
「そそっかしい誰かさんを、このまま閉じ込めておければ、いいのに」
「じ、ジョーダンじゃないわよ、そんなのごめんだわっ」
「ねえマリナちゃん、ものは相談なんだけど。10か月でいい、オレの完全管理下で生活しないか?」
「ゲッ、やだー! 絶対ゼッタイいやーっ! って、なんで10か月なの?」
思わず口からついて出た言葉だったのだが、オレ自身にも、なぜかその根拠がわからなかった。
ふたりで視線を合わせ茫然としていたが、ふいに地底生物の唸り声のような異音が辺りに響き渡り、この事態の終幕を知らせる。
オレは吐息をついて立ち上がりながら、しかしこの突き上げるような愛しさに、戸惑い困惑していた。
そう遠くない未来、この小さな身体がおこすだろう奇跡の気配と、その圧倒的な存在に畏敬の念すら感じていたのだ。
知ってか知らずか、そんなオレの手を、温かい手がしっかりと包み込む。
と、すかさずマリナの空腹の虫が、再度脅迫じみたうなり声を上げだした。
「やれやれ、”優しく”起こしてくれた礼に、素敵なイチゴケーキの元まで運んで差し上げるとするか。せっかくの誕生日に、ケーキより先に喰われたくはないからな」
なぜかその身体をより近く感じたくて、オレはマリナを抱き上げて、執務室を後にした。
満足げにオレの首元に片手を回し、上機嫌なマリナは、やがて音を立ててオレの頬にキスをする。
甘酸っぱいような面映ゆさは、好んで口にするイチゴのように美味で、ここが屋敷の廊下だという事すら忘れ、口元が緩む。

(お誕生日おめでと、シャルル。
あの、あたし、その、仕事全部片づけたからっ、パーティ終わっても朝までずっと、時間あるの…!
よかったら…、ふ、ふたりでまたお祝い、しないっ?)

囁かれるマリナの耳打ちは、逆らい様のない強烈な媚薬だ。
衝動的に監視カメラの死角に入り、オレは一足早く美味なる果実に舌鼓を打つ。







今日のパーティが、一層気乗りしないだろうことを、厄介に思いながら。

Fin



吉野さん主催 2019年シャルル生誕祭参加作品
Twitterタグ #シャルル大祭
読んでくれて、ありがとう





お誕生日おめでとうシャルル!

たくさんの幸せが あなたに降り注ぎますよう(*´▽`*)







ちなみにあの有名なラファエロの竜退治がコチラ✨
聖ゲオルギウスが毒竜から村を守り、キリスト教へと導く為に闘う姿を描いた物です♪
しかしまあ、色々あって、この国の王様に殺され殉教しちゃうんですが( ;∀;)






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