2023/08/25

Alea jacta est. 〜賽は投げられた。

🎻響谷巽 生誕記念小創作🎹


「Dominus Hibikiya, traditio hodiernae scrinio tuo more solito traditus est, ut eam coerceat placet.Felix natalis dies!」
(響谷様、本日の配送物はいつものようにデスクにお届けしておりますので、ご確認下さい。お誕生日、おめでとうございます。)

「Gratias tibi. Da mihi vigilias in vocatione hora 9 crastina. ――Bonam noctem.」
(ありがとう。明日は9時にモーニングコールを頼むよ。良い夜を。)

クラシックホテルのプロトコールを遵守する程度には、オレの表情筋は仕事をしただろうか。

社交辞令にすら自信が持てず、使い慣れた部屋のキーを速やかに受け取り、一抹の不安を払うように身を翻す。

日本と同等の治安レベルである、世界でも特異なこの独立公国に、もう何度降り立ったろう。
欧州特有の乾いた空気は、異法人であるはずのオレすら瞬く間に混在させ、馴染ませる。
他より個を優先させる土地では誰もがオレを、オレ自身の罪すらも省みる者はいないと思うと、なんと寛容かと、ずっと強張っていた心身が緩むのがわかる。

ここ近年は物理的距離をとれるよう、昔からのつても利用しこちらに拠点をおき、大学が休みになれば渡欧をくりかえした。
いつか良いバランスがとれる、きっとこの苦しみに出口を見出だせる、そう苦慮し白刃の上を這うごとく危うい数年を過ごしたのだが、しかしオレは疲弊していた。
瞳をとじれば蘇る、憂いを帯びた彼女の微笑み、柔らかく豊かな褐色の髪が添う細い首筋、紡ぐ音に微かに混じる吐息すらに、徐々に理性を狂わされていくのがわかる。
時とは残酷で、ミューズとして完成しつつあるその溢れる魅力はもはや引力となり、愚かなオレはイカロスのように進んでその太陽に焼かれようとしていた。
幼かった彼女への純粋な庇護欲は、いつしか猥雑に歪み、醜く淫猥な想いに姿を変えてしまった。
気がつけば、何をおいてもそばにいたい、指先でもいいから触れていたい、甘い香りに存分に身を浸し、その大輪の花の奥に口づけて深い深い情愛を刻み、この胸に閉じ込めてしまいたいと――!

チン!

ハッと目を上げると、美しいアールデコ調の、手入れの行き届いたヴィンテージ昇降機の扉が開く。
ドクドクと仄暗く激しい鼓動を打つ心臓から巡る血は、決して交えてはいけない呪いだ。
有史以来、その恐ろしく罪深い野蛮な行為を繰り返す者達が、一定層必ず存在した。
莫大な権力を持つ一族ですらが、その愚行故の恐ろしい結末を辿った。
かつて自戒とばかりに、そういった惨たらしい史実を浴びるように探求した。人間は野の獣ではないのだ。しかし、生国の由来が兄妹神だというのは、あまりにも皮肉がききすぎているではないか。

そのグロテスクさに胸を悪くしながら、オレは壁向こうに鎮座しているだろう人類最大の赦しの居城に思いをはせた。
他国の文化に多く触れる生育環境ではあったが、自身としてはいわゆる一般的な日本特有の、広義での無神論者のつもりではいたが――気付けば欧州に来ると、告解とばかりに自然とこの区域に逃げ込むようになっていた。

「宿罪、か」

吐息とともに絞り出された声は、まるで枯れ木の軋み音のようで、益々嫌悪感がこみ上げる。

しかし、抑え込めばこむほどに膨れ荒ぶる行き場のないこの想いは、きっといつか、手に負えなくなるだろう。
わかっていた。
人類における最も罪深いの禁忌のひとつを抱えるには、オレはもろすぎる。

なぜだ神よ。
なぜオレには、正しく行える愛を授けてくれなかったのだ。

緯度の高い地特有の遅い日没から逃れるように、静かな部屋に入ったオレはジャケットも脱がず、歴史の刻まれた重い鎧戸を閉め、自らを幽閉する。
薄暗い部屋の中、飴色のスコッチをグラスに注ぎそのままあおると――、やっと人心地になれた。

独特のピート香にしばし空虚な安堵にたゆたっていると、ふと視界の隅にあるものが目に入る。
先程馴染みのコンシェルジュに言われた、荷物が積まれたコンソールだった。
置かれた書類や小包の合間にある、見慣れない小箱にふいに視線が惹き込まれた。

なぜだろうね、すぐにわかってしまうよ。

急激に世界が色づき始め、力強くなる鼓動が熱い血を押し流しオレを解放し生彩を放つ。
喜びが、胸をつく。

刹那の酩酊をくれたそのグラスを放るように置くと、逸る気持ちを抑えつつそのコンソールに近寄り、たっぷりとした美しいサテンのリボンを解きながら、仕立ての良い漆黒の蓋を撫ぜ、そっと持ち上げる。

幸福が、そこにあった。

かつて、自身に巣食う病魔に必死に抗うその健気さに、身代わりになってあげられたらと、どれだけ唇を噛んだろう。
お前を守ることで、支えのないオレは自分も強くなれた。
互いを支えることが、いつしか喜びになった。
離れていても、いつもどこかに、互いの存在を感じていた。

懐かしい思い出が噴水のように湧き出るのを感じながら、オレは手元に目を落とす。

蝶を内包した名を冠する高貴で清楚なその花を基調に敷き詰められた、目を奪われるような、見事な自然の美の共演。
胡蝶蘭は「飛来する幸せ」や「喜びを共にする」の花言葉を持つ。
微かに香る甘く芳醇な香りが、オレを祝福し、気持ちを高揚させる。
あの子の好きなワインレッドの希少な色を揃えるのは、骨が折れただろう。
その姿を半永久的に保つ処理を受け、調和の取れた箱庭のような自然の宝石箱が、オレの生まれた日を、オレ自身を肯定し寿ぐ。

優しく可愛い、オレの妹。
こんな臆病なオレの存在を、お前は何度祝ってくれただろう。
お前への歪んだ愛を自覚して、後ろ暗さに絶望していた時ですら、確かな家族の絆でもって、必ず心を注いでくれていた。

生まれてきてくれて、ありがとうと。

何度も書き直した跡の残るカードには、本当はなんと書きたかったんだい?

オレは感動にうち震える指先でそっと箱を抱き上げ、あの子へそうするように――
その宝石箱を抱きしめた。
心が解れるのがわかる、ふいに頬を温かい涙が流れた。


薫、大切な妹。

いつかこの手を離せるように、お前の幸せを祝福できるように
オレを強くしておくれ、血を分けた愛しい半身

お前からの親愛は、オレを奮い立たせてくれるだろう。

ありがとう、心からの感謝を捧げるよ。
兄としてお前を支え、ずっとそばで見守ることを誓う――終わりなく永久(とこしえ)に。







しかし、見つけてしまった。

箱の最奥にひっそりと隠すように、一輪だけ色の違うピンクの胡蝶蘭の花言葉は













「あなたを、愛しています」








アーレア・ヤクタ・エスト 〜もう後戻りは出来ない。賽は、投げられた。

読んでくれて、ありがとう〜巽さん生誕記念創作 08/25/2023

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